2017年11月2日
古代アンデス文明展
@国立科学博物館
【一言】
中央アンデスに人類が到達してから、スペインによる征服まで1万5千年のアンデス文明史を展示。
9つの文化&帝国を主軸に、興亡を繰り返す変遷が分かった。
文字を持たない文明が故に、土器や土像,装飾品類が主な展示。
独特な信仰や図柄が面白く、精密で凄い!
ただし、期待していた博物展ではなかったな…………
【目次】
【概要】
南米大陸の太平洋岸に展開した、時間的にも空間的にもあまりに巨大で複雑な文明の全体像を、私たちはまだほとんど知りません。
時間的には先史時代から16世紀にスペイン人がインカ帝国を滅ぼすまでの約15000年間、空間的には南北4000km、標高差4500mに及ぶ広大な地域で、ナスカ、モチェ、ティワナクなど多種多様な文化が盛衰を繰り返しました。
これらの文化の魅力と個性を紹介してきたのが、1994年に国立科学博物館で開催した「黄金の都シカン発掘展」にはじまり、2012年「インカ帝国展‐マチュピチュ『発見』100年」まで5回の展覧会を開催、400万人以上を動員した「TBSアンデス・プロジェクト」です。
その集大成といえる今回の「古代アンデス文明展」では、いくつもの文化が連なり、影響を与え合う中で育まれた神々の神話や儀礼、神殿やピラミッドをつくり上げる優れた技術、厳しくも多彩な自然環境に適応した独自の生活様式などを、約200点の選び抜かれた貴重な資料よって明らかにします。
(公式サイトより・一部改変)
【全体感想】
アンデス文明を始まりから終わりまで系統立てて展示する本展。
中米〜南米の古代文明と言われるとどうしても「マヤ文明」や「アステカ文明」「インカ文明」など有名な文明ばかりを思い浮かべるけれども、実際に歴史を解説するには重要度は下がるという事が分かりました。
↓過去に科博で開催された博物展の一例↓
やはり、1つの文化・文明に特化していますよね……………..。
ただ、本展ではこれらの有名な文化・文明が大きく取り上げられたわけではないので、そういう理由で博物展はかなり期待から外れた残念なものでした。
でも、その点を除けばとても興味深い展示でもありました。中南米の歴史は上記3文明と欧米による侵略くらいしか知らず、アンデス文明の成長過程については全く知らなかったからです。
文明の始まりから終わりまで、系統立てて解説&説明された本展は、そういう意味では大きな知識を得られたものになりました。
本展に興味がない方にも一度見ていただきたいのが、公式サイトの「アンデスってなんです?」というコラム。
分かりやすいというか、面白いというかで、アンデスに興味のない方も楽しめると思います!!
本展で驚いたのは、音声解説がスマホorタブレット端末だったことです。
展示品の番号を押すと1〜2分程度の映像による解説が流れだします。その他にも各章毎にクイズが用意されていたりと、端末形式を活かしたものになっていました。
ただ、鑑賞中にスマホの画面を見ていなくちゃならないのは、個人的には反対ですね。展示されている本物を観ながら音声解説を聴くのが好きなので。
【各展示】
前置きが長くなってスイマセン………..。
※本展は特に展示品目録・作品リストのようなものはありせん。
展示品名を書いた上で感想を書き、写真を掲載する形式で感想を書いていきます。
展示品の解説ボードには番号が付いているものの、全体として順路が曖昧なので、感想も若干順番が違ったり、誤った分類がされているかもしれません。
展示会場図(クリックでPDFファイルが開きます)
プロローグ
土製のリャマ像
ワリ文化の祭祀で用いられたと考えられている像です。南米地域だとリャマって交通手段とか運送手段だったのでしょうから、それなりに大切にされていたんでしょうね。
コーギーみたいに立った耳と、大きな目、そして柔らかそうな唇が最高に可愛いです!!
テーヨのオベリスク
チャビン文明で造られた角柱遺物。
写真だと分かりにくいですが、表面には雌雄2匹のワニが彫り込んであります。
彫刻された石柱って、なんだか「The 遺物」みたいでワクワクします(笑)
プロローグはこんな感じで。
3つの章毎に分けられたブースに入っていく感じで展示が進められていきます。
以下の「続きを表示する」を押していただければ、文字通り続きが表示されますので(笑)
第1章
アンデスの神殿と宗教の始まり
人類の中南米到達後、農業に基づく定住生活の広まりと、太平洋沿岸での海産資源の利用が始まります。
この時期に社会と政治が複雑さを増し、地域間の相互交流が強まりました。
土器の作られていない時代に建てられた祭祀センター。
約60ヘクタールの広大な土地に建てられた6つの階段状基壇建造物が広場を囲み、音楽や儀式を執り行ったと考えられている。
(南北アメリカ最古の遺跡なのだそう)
線刻装飾のある骨製の笛2本
ペリカンの骨で造られたこの笛の表面に刻まれているのは、サル,トリ,ネコ科動物などの紋様。
真ん中の穴に口をつけ、両端の穴を塞ぐことで音を変えるのだそう。
カラル遺跡からは笛や楽器類は出土しているものの、武器類は見つかっていないことから、戦いのない世界だという推測もできるそう。
遺跡名のコトシュは「石の山」を意味する。
この遺跡の発掘により、土器のない時代から神殿が存在した事が明らかになった。
交差した手
コトシュ遺跡の壁に飾られた浮き彫りで、手前が男性、奥が女性の腕の装飾のレプリカ。
正直、神殿の壁にこの手の模様が並んている姿を想像すると、ちょっと不気味ですよね……(笑)
ちなみに、こちらが神殿の模型です。
別の神殿の下から発見されたのが、このコトシュ遺跡なのだそう。
第2章
複雑な社会の始まり
アンデス文明の最初の文化統一はチャビン文化の広まりだったと考えられている。
チャビンの美術や宗教は過去から続くアンデスの宗教伝統を統合し、各地の祭祀センター間の交流によって出来上がったものだった。
地下に造られた大規模な神殿で、水と豊作の儀式が行われた。
2kmに渡る長い回廊の奥には御神体であるジャガーと蛇を組み合わせたランソン像が祀ってあった。
地下通路や聖像のレイアウト、音響と神殿内を流れる水などの効果により、五感に訴えかける設計だった。
テノンヘッド
神殿における儀式で幻覚剤を用いた人間が、次第にネコ科動物に変容する感覚を体験する様子。
アンデス文明の人頭頭ってなんだかとても興味深いですよね。独特の雰囲気が。ネコ科動物というと、やっぱりジャガーとか何ですかね?
サル人間の図像が彫られた石版
典型的なチャビンの生き物を組み合わせた図で、胴と手足が人間、尾と足と顔はサル。杖とベルトの蛇が強調され、右足下には1匹の蛇が。
そして、左手に持つ巻貝はトランペットとして用いられたもの。
上の石版でサル人間が持っている巻貝トランペットと同じものが以下の写真のものだそう。
調査によって発見された多数の黄金装身具は、精密な細工を施した品としては南北アメリカ大陸最古のもの。宗教的指導者が権力に関心を示すようになったことや、治金技術の発展などが明らかになるなど、時代の解明に大きな貢献をした。
金製双子・ジャガー鼻飾り
口を隠すように、中央の切り欠きに鼻を当てる。左右に向かい合うジャガーの姿がよくわかる!
十四人面金冠
六角形の穴は籠の目で、首級(=切断された首)が詰め込まれた籠を表している。
この冠を頭にかぶるのは異常な気がするけど、討ち取った首を詰めた籠を模した冠は、強さの証明にはなるのかなぁ〜なんて。
自分の首を切る人物の象形鐙型土器
アンデス文明において「切断後の人体」の表現は見られるが、進行中の殺傷行為を描いた事例は、この作品を含めて2例のみ。
刺青とかが綺麗な一方で、切断中の首から除く血管類がリアルで怖い…………。
まぁ、日本の切腹も似たようなものですよね、自分で自身を殺すという点では。
第3章
様々な地方文化の始まり
地域間の相互交流を活発にし、数百年に及びアンデス北部に影響をもたらしたチャビンはやがて廃れる。
チャビンの権力が衰えると、各地の伝統が復活し、その後の文化への道程となっていく。
大きな谷に開けた平野、豊かな水量の川に灌漑施設を発達させたモチェは古代アンデス文明の一大先進地帯だった。
ネコ科動物の毛皮を模した儀式用“ケープ”
と
ネコ科動物の足をかたどり めっきをほどこした爪を付けた土製品
しっかとネコ科動物が模られていて、儀式の時に身につけたことが容易に想像できます。金の板状装飾はジャガーのように模様を表してるのか、装飾上の理由からなのか、どっちなんでしょう?
[ 記録の媒体としての土器 ]
アンデスの人々は文字を発明しなかったが、自分たちの宗教や神話や世界観を図像で伝えた。織物に織り込んだり、土器の表面に描いたり、彫刻などの立体土器に表現したり。
リャマの背に乗る男をかたどった土器
リャマは新世界で唯一の荷役動物だった。乗り手は横向きにリャマの背に覆いかぶさるか、尾の方に頭を向けて腹ばいになっており、馬に乗るときのように背にまたがる像はない。
この像のお陰で、リャマの乗り方が判明したわけですか!!
チチャ造りをする男女を表した鐙型注口土器
チチャと呼ばれるトウモロコシ酒を作っている男女の姿をかたどった土器。
こういう展示を見ていると、道具とか身の回りの生活を上手に立体で表して、生活を伝えていたんだなぁ〜と思いましたね。
[ モチェ人が住む4つの世界 ]
モチェ人は折り重なる4つの世界を生きていたと感じていた。その一つが、死者や祖先たちの世界である。
死者をかたどった土器を見ると、モチェの人々は死者が身近に暮らし、人間の世界と関わり影響を与えていると感じていたことがわかる。
木製戦闘用棍棒
と
石製棍棒の頭
先端の円錐形部分の重量と突き出た角の部分で相手にダメージを与えられる…………と解説されても、「本当に木の棒で戦っていたのかよ…………」と驚きます(笑) いくら石の頭を装着していたとしてもね………。
トウモロコシの穂軸の姿をした神を描いた土器
トウモロコシはアンデス全体で神聖な植物であり、中に牙のある神が身を埋めている姿。
なんだか、めちゃくちゃ可愛くて面白いから、個人的にかなり好きな像です(笑)
死んだ男性と生きている女性の性行為を描写した鐙型注口土器
死体=骸骨が生きた女性と性行為を行っている描写の土器。モチェ人にとって死は生命の一段階と捉えられ、死者が生者と相互関係を継続する生活の重要な一部となっていた。
この土器が描いているのが現実の場面なのか、象徴としての場面なのかで大きく感じ方が変わります……。
雨が少なく干ばつの影響を受けやすい土地の彼らは、神への願いを届けるために優れた芸術品をつくった。
カワチ神殿はナスカ最大の神殿群であったが、地震と洪水により権威を失ったと考えられてる。
11本の管を持つ大型の土製パンパイプ(アンタラ)
管が11本あるアンタラという楽器だそう。
「土製の楽器ってすごいなぁ〜」と感心と驚きをしていたんですが、よく考えたらオカリナとかも陶器ですもんね。
[ ミイラのマント ]
アンデスでは織物や布が身分や伝統を表す役割を担っていた。精巧な織物は個人の権力のあかしでもあった。
刺繍マント
高位者のミイラを幾重にも包んでいたマントのうちの1枚。「空飛ぶ人間型神話的存在」が描かれ、人間の身体に鳥の翼がつき、チュニックお王冠を身に着け、両手に鳥を持っている。
第4章
地域を超えた政治システムの始まり
干ばつ、洪水などの深刻な気候変動によって、大きく社会が変化した。それが顕著に表れたのは人口の集中である。
ティティカカ湖の湖畔にある盆地で繁栄し、中心となったティワナク遺跡は、巨大な石造建築物や一枚岩から削り出された石彫などが有名で「石の文化」「石の文明」と呼ばれている。
7世紀頃からティティカカ盆地の外に宗教的・経済的な影響力を持ち始め、海岸にも進出したが、後1000年ごろに衰退しはじめた。
(公式サイトより)
黒色玄武岩製のチャチャプマ(神話的な人間型ネコ科動物)彫像
ピューマと人間を合わせた神で、戦いを表す。人間の首級を膝の上にのせた動物型戦士。
2人の男性の顔が彫られたティワナク様式の石のブロック
帽子を被った2人の男性。右の頬が膨れていることから、コカの葉を噛んでいると考えられている。
この2人は奴隷なのか、捕虜なのか、それとも市民なのか気になりますね。測量技術がない中で、直線の切り出しが綺麗です。
ネコ科動物をかたどった多彩色土製香炉
ネコ科動物=神みたいな信仰があるわけですもんね。にしても、この土器たちが本当に可愛かった…………(笑)
ワリ帝国は武力で広い範囲の領土を獲得し他民族を統治した、アンデスではじめての「帝国」だと言われる。計画的に設計された都市型の飛び地を海岸部に建設し、海岸と高地の覇権を握っていたと考えられてる。
杖を持つ神が描かれた多彩色壺
トウモロコシの酒を入れ、儀式後に破壊された壺。数百個もの破片になっていたものを復元。
胸部分に描かれている「杖の神」はティワナク文化の影響を受けたものだと考えられている。
右がティワナク文化、左が上の壺に描かれているワリ文化の「杖の神」
人間の顔が描かれた多彩色鉢
種族の異なる人物の顔が描かれて、誰もが舌を出している。
政治的に重要な立場の人間で「人々に語りかける者」なのか、ワリ帝国が征服した敵を絞殺した姿だとかんがえられている。
個人的には後者の説を支持しますね。多種多様な民族の征服は権力の証でしょうから。
シカン文化は後10世紀のペルー北部海岸で急速に頭角をあらわし、最盛期である中期シカン期(900年~1100年)には独自の文化を完成させた。モチェの存在とシカンの台頭があったため、拡大を試みたワリ帝国はこの地域では確固とした覇権を確立することができなかった。シカン文化は在来のモチェ文化と外部から導入されたワリ文化の特徴を併せ持つ新しい様式を作り上げた。
ロロ神殿「西の墓」の中心被葬者の仮面と頭骨
高い身分の男で、女性2人と同時に埋葬されていた。
仮面は遺体に被せられていたもので、表面だけ金の含有率を固めることで、当時は金の輝きを放っていたと考えられる。
頭骨の赤色は「辰砂」という鉱物で、その色が動脈血を思わせる事から生命の象徴だったと考えられている。
[ シカンの金属精錬技術 ]
「ここが黄金国家では?」と考えた日本人学者により、南米大陸最大級の黄金都市が発見されたシカン文化。
優れた金属加工技術を有していた事がわかる。
個人的に、金はキラキラで綺麗ですけど、やはり高度な加工がされていたり、宝石が埋め込まれたりしている芸術品に寄った金製品の方が好きですね〜。
2つの川に挟まれた肥沃な谷を中心にしており、白黒2色の土器、そして優れた技術の織物が有名。
頭を覆う布
女性が頭を覆うために使ったもので、レースのように向こうが透けて見える。結び細工とからみ織を組み合わせて、海中の魚を表現している。
織物
解説には「2色で謎の図像が表現され〜」とありますが、これは魚を模した図像じゃないんですかね?
コップを持った男性の坐像をかたどった2色(白黒)の手捏ね土器
織物と並んで有名な2色土器です。彩色していないからか、どこか不気味な雰囲気が漂っています………(ライトの当たり具合い?)
第5章
最後の帝国──チムー王国とインカ帝国
ワリ帝国やティワナク文明の政体が崩壊すると、各地に多数の地域政体が成立し、対立や衝突が生じた。その間、勢力を伸ばしたチムー王国は北部沿岸の有力勢力になった。しかしインカ帝国がチムー帝国を滅ぼし、アンデス文明以来最大規模の領土にまで成長する。
そしてその後、スペイン人のピサロによって征服される。
チムー王国はシカン文化の金属精錬技術を受け継ぎ、高い農業生産性を持つ土地と、優れた職人を獲得した。
木製のミニチュア建築物模型
壁で囲まれた建築物のミニチュア模型。
神殿とかなんですかね?壁際にちょこりと可愛らしい人たちが(笑)
木製の葬送行列
中心の紫やオレンジで彩色された繭型のものは中に遺体を収める「葬送包み」と言われるもの。
※「木製の葬送行列」の後に展示品名が続いていたのですが、写真を撮り忘れて、不明です。
アンデスで発達した政治システムの中で最後にした最大、そして最も強力な政体でした。様々な技術を利用して景観を変えるほどの大規模な開発や、軍事的な大遠征を繰り返して強大な帝国を作り上げました。
インカ道と呼ばれる連絡交通網は全長4万kmに及んだそう。
インカ帝国のチャチャポヤス地方で使われたキープ
文字を持たなかったアンデスで、情報の記録・伝達手段という役割を担ったキープ。
結び目を用いて数字を10進法で表し、色や太さも意味を持っていたと考えられています。
このキープを読み解くため、クスコの学校で3年間の訓練をする必要があったそう。
アンデスの「最後の晩餐」
有名な「最後の晩餐」のアンデスver.。
魚はクイ(天竺鼠の丸焼き)に、ワインはチチャ(トウモロコシの酒)に変わっています。
カトリック教会釜布教を行うのに必要だったよう。
第6章
身体から見たアンデス文明
人の身体も文化の所産である。身体に描かれた様々な意匠には、その文化の持つ特質が表れている。古代アンデス文明には、旧大陸には見られないミイラの文化が育った。インカの王は死後ミイラとなり、家臣にかしずかれながら生活していた。
にわかには理解できないこの風習も、その起源や発展の様子を眺めると、人間の本質が見えてくる。本章では身体に表れた様々な加工の跡を概観し、アンデスの生病老死について考える。
(公式サイトより)
※第6章は写真撮影禁止でした。
[ 頭部へのこだわり ]
頭を特別視していたアンデスの民たちは、「変形頭蓋」と呼ばれる形状の頭蓋骨をしていました。
縄や布で頭をきつく縛り、形を変形させます。
(画像は本展に展示されていた品ではありません。イメージとして掲載しました)
開頭術の跡のある男性頭骨
また、「開頭術」と呼ばれる治療法も。
大きな負傷を負った者に対して、頭に穴を開けて治療する方法。
脳みそは痛覚器官がないから痛みを感じないといいますが、流石にこれはばい菌とか入りそう………。
[ アンデスのミイラ思想 ]
古代エジプトと違い、古代アンデスでは死者は生者と共存していると考えていました。
体育座りの格好の遺体を布でくるむミイラ=ファルドが作られました。
ミイラ
ミイラを見て思ったのは、骸骨(骨だけ)だと怖くないけれど、ミイラは人間の形とか目などの器官がそのまま形になっているから、怖いというか、不気味だなぁ〜と。
乾燥して干からびた皮膚とかがリアルですもん………(そもそも本物だし)
男児のミイラとその副葬品
それから、ミイラ信仰って乾燥した地域に多くないですか? エジプトとか南米の太平洋側とか。やっぱり乾燥している分、そのまま放っておいてもミイラ化するから、身近なんですかね?
それとも、湿度ある地域ではそもそも遺体が腐るからミイラという概念がなかったのか……。
でも、日本にも即身仏なんて信仰がありますしね…………。
とまぁ、博物展の感想は以上になります。
最後に、音声解説端末で各章毎に実施されたクイズの結果ですが…………見事、全問正解でした!!
創造神の称号を貰っちゃいましたよ!!!!
それから、美術展や博物展のお土産にはポストカードを買うことに決めていまして、今回もポストカードを買いました!!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!