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【美術展】『マルセル・デュシャンと日本美術』:偉大なる現代美術家作家の解説回顧展

2018年10月27日訪問

マルセル・デュシャンと日本美術

 
【一言】

「レディ・メイド」という美術分野を生み出し、絵画に「時間」の概念を加え、女性人格を用いたジェンダー的視点で制作を行うなど、本当に凄い現代美術作家。

解説を読むことがとても興味深く、背景を知ることがとても楽しい美術展!

 
【Twitter140文字感想】

 

 

 

 

美術展の概要

マルセル・デュシャン(1887-1968)は、伝統的な西洋芸術の価値観を大きく揺るがし、20世紀の美術に衝撃的な影響を与えた作家です。

この展覧会は2部構成となります。
第1部「デュシャン 人と作品」(原題 The Essential Duchamp)展は、米国・フィラデルフィア美術館が企画・監修する国際巡回展で、同館所蔵の世界に冠たるデュシャン・コレクションより、油彩画、レディメイド、関連資料・写真など計150余点によって、彼の創作活動の足跡をご覧いただきます。

第2部「デュシャンの向こうに日本がみえる。」展は、東京国立博物館の日本美術コレクションで構成、もともと西洋とは異なった社会環境のなかで作られた日本の美術の意味や、価値観を浮かび上がらせ、日本の美の楽しみ方を新たに提案しようとするものです。

フィラデルフィア美術館のデュシャン・コレクションが自館以外でこのようにまとまって公開される初の機会であり、それを日本美術品と比べて見ることのできる大変貴重な機会となります。この展覧会では「芸術」をみるのではなく「考える」ことで、さまざまな知的興奮を呼び起こしてください。

(公式HPより)

フィラデルフィア美術館 ティモシー・ラブ館長インタビュー

フィラデルフィア美術館 ティモシー・ラブ館長インタビュー2

フィラデルフィア美術館 近代美術部門キュレーター マシュー・アフロン氏インタビュー

会場:東京国立博物館(平成館 特別展示室 第1室・第2室)
会期:2018年10月2日(火)~12月9日(日)
料金:一般1,200円
公式HP:公式サイト

 

 

 

 

展覧会の全体的な感想

 東博にて開催の『マルセル・デュシャンと日本美術』に行ってきました!
 気になってはいたものの、行こうか迷っていたのが本音のところ。しかし、なんと美術関係の方から無料鑑賞券を頂いたので、これはチャンスと行ってきました!(ありがとうございました。)

 全体的な感想としては、とても良かったです!

デュシャンに関しては、美術概念「レディ・メイド」を生み出した事と、作品『自転車の車輪』、男性便器を用いた『泉』、『階段を降りる裸体』くらいしか知らなかったです。
 でも、回顧展的な本展を観て、彼の作品の考えや「レディ・メイド」の背景を知ることが出来て良かったです!

 デュシャンに関してあまり知らないのでほとんどが驚きでした。
 彼が最初は(言い方失礼ですが)普通の絵を描いていたこと、キュビズム的絵画を描くようになったきっかけ、米国で有名になるタイミング、「レディ・メイド」の裏側、様々なジャンルの作品などなど。

 色々なメディアを用いた作品を制作していて、一見すると「謎」な作品も、その背景を知ると非常に合理的な理由で生み出された作品だと分かりました。

 「レディ・メイド」に関して。
 そもそもこの美術概念の内容は「既成品から本来の機能を剥奪する」というもの。

 このジャンルの作品を知った最初は「ただの手抜きかよ」とか「眼鏡のレンズ抜いて展示すれば“作品”になるじゃん」とか思っていた事もありましたが、ちゃんと中身を知ると違いますね。(一応、ちゃんと勉強しているんですよ 笑)

 例えば『泉』なら、「新設の美術協会の精神が民主的で多様性を受け入れるものか否かを試すため偽名で出品」したそう。結局、協会は作品を規約違反として展示禁止にしたそうです。

 知らなければ「ただのトイレ」ですが、きちんと制作の背景を知ると「理由ある作品」になるので、《知る》というのはとても大事なことだと改めて感じました。

 個人的に、本展に出展されていた作品の中で好きなのは、上でも挙げた『階段を降りる裸体』(下の画像)です。
 キュビズムの絵画って私の中でも画家の違いで好みが分かれるのですが、デュシャンの作品は好きなタイプでした! しかも『階段を降りる裸体』はその「動き」や「時間の連鎖」のようなものが、残像のような形で描き出されていて、とてもお気に入りの作品です。

 もう一点『The』という作品も。  「レディ・メイド」の流れで「言葉から役割を奪う」として制作された文章。言葉までをも作品の材料として機能の剥奪をするというのが本当に面白く感じました!

 今回の展覧会の題名は『マルセル・デュシャンと日本美術』。
 これは失敗ですね。

 だって、展示内容の9割はデュシャンの回顧展的な内容で、最後に少し日本美術との関連が示されるだけ。東博で開催する為に無理やりこじつけたようにしか思えない……。

 しかも、私は日本美術にはあまり興味がないので、本展も題名から「あぁ、そういう内容ならパスで」と決めつけてましたからね。鑑賞券を頂いていなければスルーですよ。(ちゃんと調べなかった私も悪いけど)

 そんな訳で、感想は以上です。
 毎回買っているお土産のポストカード。今回は代表作の『泉』にしました。

 

 

 

 

展示内容の紹介

 

第1部「デュシャン 人と作品」

 マルセル・デュシャン(アメリカ、フランス生まれ、1887~1968)は、20世紀の美術に衝撃的な影響を与えた類まれな作家である。1911年、パリのキュビズム・グループの一員として名を上げはじめるが、25歳の時に絵画制作を放棄し、そこから果てしない自己改革の道を歩みだす。
 1912年、デュシャンは、彼の視覚芸術から概念芸術へ移行するという目標を象徴する作品、《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(通称《大ガラス》)の長期にわたる制作に乗り出す。そしてその1年後、自身が「レディメイド」と名付けた初めての作品を発表し、従来とは全く異なる新しい「芸術の定義」を生み出した。「レディメイド」とは、彼が芸術的文脈の中に配し、時にはタイトルを加えることによって、何の変哲もない工業製品に思いがけない意味をもたせる作品をいう。
 その後1920年代から1930年代になると、デュシャンは「芸術を断念してチェスに専念するようになった」という噂を自ら広るが、その一方でローズ・セラヴィという女性の別人格を創り出し、その人格を使って新しいプロジェクトもはじめている。第二次世界大戦後に知名度がますます上がってからも、そのとらえどころのない性格と、奇抜な芸術活動によって、彼は謎めいた存在のままであった。晩年には、《大ガラス》を振り返り、自身の主要テーマをまとめた最後の作品《遺作》の制作もひそかに進めていた。
 1950年、重要なパートナーであったコレクターのルイーズとウォルター・アレンズバーグ夫妻がその素晴らしいコレクションをフィラデルフィア美術館に寄贈したが、その際にデュシャンが力を貸し、彼自身の作品の大部分が1ヵ所に集約されることとなった。フィラデルフィア美術館のコレクションを中心とする本展覧会では、芸術行為ひいては芸術そのものに対する私たちの考え方を根底から覆した作家の全体像を紹介する。

 

31
作品:自転車の車輪
英題:Bicycel Wheel
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:木、塗料、車輪
補足:制作1964年(レプリカ/オリジナル1913年)

最初のレディメイド作品である《自転車の車輪》……は、芸術作品として制作されたものではなく、その目的は、玩具のような気晴らしであった。しかし、他の多くの作品に見られる回転するモチーフに関連するものである。

最初のレディメイド作品。この作品は「玩具的な気晴らしということで、個人的にはあまりわからない作品です。面白さは感じるし、本来の機能を奪うという意味でも納得。
しかし、芸術作品としてはなかなか見れないです……

 

 

 

1:画家としてのデュシャン

はじめに、1902年から1912年までの間の「画家」としてのデュシャンの事績を追います。この時期デュシャンは、印象主義から象徴主義、そしてフォーヴィスムにいたるまで、さまざまな前衛的な様式に実験的に取り組みました。彼が15歳のときに描いた《ブランヴィルの教会》(1902)から、キュビスムに対する独特な取り組みによりデュシャンの名を広く知らしめることになった《階段を降りる裸体 No. 2》(1912)、その後いわゆる「画家」としての最後の作品《花嫁》(1912)まで、油彩画を中心に彼の幼少期の写真、生家や故郷の風景、家族の肖像写真をともに展示、「画家」デュシャンを紹介します。

(公式HPより)

 

5
作品:ブランヴィルの庭と礼拝堂
英題:Garden and Chapel at Blainville
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:油彩、カンヴァス

左側にデュシャン家の赤い煉瓦が見え、隣の教会の尖塔が木々の枝の隙間から見える。印象派の巨匠クロード・モネの作品の模写からデュシャンが学んだスケッチのような描き方

 パッっと見で「モネみたい」と思って解説を読んだら、やっぱりモネでした。
 油彩画ってルネサンス等の古い西洋絵画とかしか見ないので、「モネの模写」ってなんだか少し違和感があるような気がします(単純に美術に疎いだけですかね)

 

 

 

6
作品:ピアノを弾くマグドレーヌ
英題:Magdeleine at the Piano
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:水彩、鉛筆、紙

デュシャンが描いた初期の素描作品は、家族や親戚の肖像画である。

 こういう作品を見て毎回思うのは、「最初はみんな普通の画家なんだなぁ」という事。『ジャコメッティ展』でも思いましたが、どんなに奇抜な芸術家でも、最初は普通の綺麗な絵を描くんですよね。

 

 

 

9
作品:チェス・ゲーム
英題:The Chess Game
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:油彩、カンヴァス

パリ郊外の….アトリエの庭での穏やかな夏のひとときを捉えたものである。…デュシャンは兄たちからチェスを教わり、彼の生涯にわたる重要なテーマとなった。

 この絵が好きというわけでも、印象に残ったわけでも無いですが、引用した解説文にもあるように、他の作品に繋がる「チェス」を描いた作品です。(なので感想的な内容は大してないです……)

 

 

 

11
作品:デュムシェル博士の肖像
英題:Portrait of Dr. Dumouchel
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:油彩、カンヴァス

友人かつ同級生でもあった人物は、独創的で、不思議な色使い─特に広げた手の周りの鮮やかなピンクの光輪─で描かれ、自然界の通常の視覚体験を超えた現象を示唆している。デュシャンは、非自然主義的な表現こそ現代絵画の目指す表現の一つと考えていた。

 この絵は道化師的な仮装/ペイントをした人物を描いているのではなくて、普通の人間をこの色彩で描いたってことなんですかね? 個人的には顔の目の周りに塗られた赤色がとても印象的でした。

 

 

 

12
作品:叢(くさむら)
英題:The Bush
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:油彩、カンヴァス

2人の裸体の姿勢や意味ありげな身振りは、通過儀礼を暗示するが、デュシャンは、この正確な意味を説明していない。曖昧なタイトルによって、超俗的な印象がさらに強調されている。…作品にあえて説明的でないタイトルを付け、視覚的な表現を超えた精神的もしくは概念的な側面を加えるデュシャンの手法が使われた初期の作例である。

 この作品も好きではないですが、解説の内容が重要だったので掲載。この裸体の雰囲気は、ピカソの『アヴィニョンの娘たち』を思わせるように感じました。(共通してるのは女性のラ体を描いたキュビズム的絵画という点だけなのでしょうが)

 

 

 

15
作品:肖像(デュルシネア)
英題:Portrait (Dulcinea)
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:油彩、カンヴァス

女性が5段階の動きで空間を回っていくにつれ、衣服を失い帽子を残して裸になる。…見かけた魅力的な女性についての空想的なシナリオを思いつき、そこからこの男の視線と性的欲望のパロディを作り出した。

 デュシャンは「時間を絵画に持ち込んだ」ことで絵画史でも重要な意味を持つ作家です。その概念的な部分が描かれた作品。確かに、服を脱いでいます。(男性がいつもすれ違う女性の裸を想像しているみたいな誤解も甚だしいパロディだなぁ…笑)

 

 

 

18
作品:階段を降りる裸体 No.2
英題:Nude Descending a Ctaircase (No.2)
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:油彩、カンヴァス

裸体が移動する機会的な形として描かれている。この効果を得るために、デュシャンは、キュビズムの抽象、幾何空間に関する現代数学の概念、そして、科学的な写真からヒントを得た動きを表現するため、組み合わせて考えた。

 「絵画に時間の概念を持ち込んだ」デュシャンの代表的な作品です。連続した動作を1コマに収める日本の漫画のようにも思えます。
 脚の動きとか、鼻の位置とかから、裸体の人物が動いている残像のように浮かんでくるようです。(未展示でしたが、No.1の方が人間が階段を降りてくるシーンが分かりやすいとです。)

 

 

 

16
作品:チェス・プレイヤーの肖像
英題:Portrait of Chess Players
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:油彩、カンヴァス

中心を漂うチェスの駒が2人の兄弟のゲームへの精神的な思いを示している。

 9番に続き、「チェス」が描かれた作品ですが、当然作風は大きく変わっています。キュビズム的であっても、人物が何をしているか──右側の人物は頬杖をついて考えてたり、左側の人物は手のひらで駒をいじってたり──が分かりやすいから好きになりました!
  思考内容が浮かぶような描写も漫画やアニメ等でよく見かけますよね。

 

 

 

23
作品:花嫁
英題:Bride
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:油彩、カンヴァス

人体の臓器を繊細な色調で描くという、空想的で不自然な演出が施されている。視点は、明確で統制されており、矛盾のないまとまった三次元のフォルムを形成するよう光と陰が配置されている

 何と言うか…「人間の臓器を実験室で再現した」という感想を持ちました。様々な管や漏斗のような部品がまとまって、口から肛門までの体内を表現していて、とても面白いと思いました!
 少し、アルチンボルドに似てたり似てなかったり。

 

 

 

 

2:「芸術」でないような作品を作ることができようか

通常の「絵画」制作を止めたデュシャンがその後どのように進んだか、1912年から1917年までの活動をたどります。この時期デュシャンは、伝統的に理解されていた絵画の枠を押し広げ、そこから飛び出しました。彼の最も重要な傑作の一つ、《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(通称《大ガラス》) (1915-23)を構想したのはこの時期です。
また、いわゆる「レディメイド」と呼ばれる一連の作品の制作をはじめたのもこの時期でした。「レディメイド」は、ある機能をもった物品を本来の日常的な用途から切り離し、「作る」という概念に相対するものとして、「芸術作品」として「意味づける」ことでした。 このセクションでは、フィラデルフィアにある《大ガラス》のオリジナルを写真で紹介するとともに、東京大学駒場博物館所蔵の《大ガラス》複製(東京版)を展示、デュシャンの制作意図と作品の意味を考えます。

(公式HPより)

 

28
作品:彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)東京版
英題:The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even (The Large Glass)
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:ミクストメディア
補足:オリジナル

現代数学や科学技術の難解な考察によって、性的な欲望の寓話を表現しいたものである。…絵画制作の過激な実験である。下部の領域は、西洋美術の表現の基礎である3次元の視点で描かれているが、上部は通常の視覚を超えた霊妙な4次元の空間を描いている。(28番解説より)

1926年に作品が一般公開された時…のちに輸送中の事故で日々が入った。(29番解説より)

デュシャンは…意図しない重要な要素がついかされた、と対称的に入ったひび割れを称賛するようになっていた。(30番解説より)

 上部は「機械と昆虫の混成物である花嫁」が、下部は「独身者──9つの空洞の鋳型」を描いています。正直、下部に関してはまったく興味が湧かないというか、“ただの物体”にしか見えないというか。
 でも、上部の「昆虫(イモムシ?)が花嫁」というのは分かる気がします。確か、手塚治虫が昆虫を擬人化?少女化?させた漫画を書いていたと思います。雌雄問わず、手塚治虫の描く虫ってどこか官能的に感じます。

 

 

 

32
作品:瓶乾燥機
英題:Bottlerack
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:亜鉛メッキ、鉄
補足:1961年(レプリカ/オリジナル 1914年)

もともとデュシャンがパリのデパートで購入したものである。

 こうして「作品」として展示されると、この形状が面白く思えてくるから不思議です。アンコールワット遺跡の尖塔のイメージに似た宗教寺院を想起しました。

 

 

 

37
作品:The
英題:The
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:インク、鉛筆、紙

英語を習得中であったデュシャンは、言葉の違和感について鋭い感覚を持っていた。…レディメイドの持つ本来の実態と関係のない意味に、鑑賞者の思考を誘導するため、…通常の使い方から言葉を解き放つことが、異なる意味を作り出せることにも気づいたのである。

 この作品は定冠詞の「The」を星印に置き換えています。ただし、消された単語を置き換えても元々の意味や論理的な文章には戻らないそう。
 展示されていた作品の中で好きな1つです。「既成品から機能を剥奪する」という意味から「言語」まで作品に取り入れるというのは、非常に興味深く感じました!

 

 

 

45
作品:
英題:Fountain
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:磁器製小便器
補足:1950年(レプリカ/オリジナル1917年)

デュシャンは、ニューヨークで芸術家が運営するモダンアートのフォーラム「独立芸術家協会」の設立を援助した。彼は、そのグループの精神が民主的で多様性を受け入れるものであるかを試すため、1917年の最初の展覧会に、普通の男性用小便器を提出した。作品には、ユーモラスな《泉》というタイトルを付け、デュシャンの名を隠すために架空の芸術家であるR.マットと署名した。運営委員会が規約違反であるとして《泉》の展示を禁止する票決に達すると、デュシャンはそれに抗議して役職を辞任した。

 デュシャンの作品の中で一般的に最も有名な作品だと思いますし、私もこれがパッと浮かびます。しかし、引用したようにこの作品の背景を知ると、非常に面白い作品だと思いました。
 個人的に作風とか技法については無知なので、こういう理由やコンセプトが分かるだけで一気に感想が変わります。

 

 

 

 

3:ローズ・セラヴィ

このセクションでは、1920年代および1930年代のパリ滞在、そして第二次世界大戦中に亡命者として過ごしたニューヨークでのデュシャンを取り上げます。
1921年、彼は職業を芸術からチェスへ転換しようと言い始め、プロのチェス・プレイヤーであるかのようにチェスに没頭しました。また、1920年代には自らの分身として「ローズ・セラヴィ」と名付けた女性に扮し、この人格のもと、ダジャレや語呂遊びなどの言葉の実験を試み、新たな制作に取り組みました。また、遠近法や視覚に関する長期間の研究の蓄積に基づいた、機械的な仕掛けに取り組んだのもこの時期です。
一方デュシャンは、ニューヨークでの反芸術活動「ダダ」と活発に交流していました。こうした活動・交流は、「ダダ」の中心人物の一人である写真家マン・レイ(1890 -1976)の協力を得て1926年に制作した前衛的な短編映画『アネミック・シネマ』に結実します。
1930年代半ば、デュシャンは自分自身の作品を複製というかたちで再考することに興味をもち、《トランクの中の箱》 (1935-41)としても知られる作品のミニチュアからなる携帯用の美術館が生み出されました。
その後1940年代には、若い芸術家を紹介する展覧会の企画者となり、芸術家としてではなく、企画者あるいはキュレーターという裏方として活躍、有名になりました。いわゆる芸術家としてではなく芸術活動に携わること自体により、芸術あるいは芸術家とは何か、という垣根を打ち破っていくのです。

(公式HPより)

 

49
作品:フロラインへさようなら
英題:Farewell to Flirine
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:インク、色鉛筆、紙

1917年4月、アメリカ合衆国が第一次世界大戦に突入すると、高まった軍国主義と愛国主義の雰囲気から逃れるため、デュシャンは1918年8月、ブエノスアイレス行きの蒸気船に乗り込んだ。

 これは完全に好みです。こういうタイプの地図って「宝の地図」みたいでワクワクしませんか? 映画『インディ・ジョーンズ』でも移動シーンに地図が登場しますが、そういうのが大好きです!……まぁ、それだけなんですけどね。

 

 

 

60
作品:『319』第12号
英題:391 (No.12)
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:刊行物、表紙イラスト:フランシス・ピカビア

パリのハガキ屋でレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナリザ》の安い複製を購入し、口ひげとあごひげを加え、フランス語で発音すると失礼な一文──彼女は欲情している──となる語呂合わせの表題をせけた。永遠の美、精神の謎、芸術のアウラに対するこの攻撃は、既成概念を破壊するダダの運動を示す好例となった。

 この展示作品は雑誌の表紙として再制作されたものですが、「あごひげ」を忘れたそう。ちょっとダリにも似たこの“落書き”が意味を与えるだけで作品になるから凄いです。この程度の“落書き”なら学校の教科書に皆んなやってると思いますが、そこに「意味」を加えたから凄いんですよね。

 

 

 

66
作品:ローズ・セラヴィはここにいる
英題:Voici Rrose Sélavy
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:1921年撮影のガラス板ネガからのプリント

自らの後頭部を星型…に剃り落とした写真…剃髪との連想は、社会から隠遁する修道者や神秘主義者と芸術家についての彼の考えと共鳴した。数年後、デュシャンは、彼の女性の別人格を示す表題を追加することで、性差によるアイデンティティという主題を強調した。

 正直、この作品が気に入ったわけではないですが、章タイトルに合わせて掲載しておきます。「ローズ・セラヴィ」に関するその他に作品は撮影禁止だったので、この作品のみですね。

 

 

 

83
作品:マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による(トランクの中の箱)
英題:From or by Marcel Duvhamp or Rrose Sékavy (Box in a Valise)
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:革製トランク(中身)コロタイプ、レリーフ・ハーフトーン、スクリーン印刷、オフセット・リトグラフ、表面加工した写真、カラー印刷、手彩色の紙、透明アセテート、ビニール、ガラス、陶器

デュシャンは、印刷した複製の芸術的な可能性を大切にしていた。彼は、印刷した複製を模造の額縁に入れ、独立した絵画のように扱った。(84,85番の解説より)
デュシャンは、ミニチュアの2次元、3次元のレプリカを展示箱に入れて、彼の最も重要な作品のアンソロジーとして作った。

複製をちゃんと芸術作品として扱うのは大切だと思います。私自身、「複製原画」を購入したり、複製原画展に行ったりしますし。それにしても、このボックスをゲット出来たらさぞかし嬉しいでしょうね!!

 

 

 

82
作品:彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(グリーン・ボックス)
英題:The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even (The Green Box)
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:布貼ボール紙、手書きのメモ・素描・写真の複製94点
補足:1934年、パリ、ローズ・セラヴィ出版

デュシャンは、この手書きメモの複製を集めたものを《大ガラス》の取扱説明書としようとしたが、…メモには特に順番が示されておらず、読む人はガラスの構造物とメモの関連性を自力でみつけなくてはならない。

 こういう資料って個人的に大好きです。アニメの設定資料集とか買い集めているし、映画やアニメ関連の資料展覧会で原画やコンセプトボード等を見るのが好きですから。作品との関連性を自力で見つけるというのは、ある意味「楽しみ」でもあるのではないでしょうか!?

 

 

 

 

4:《遺作》欲望の女

最後のセクションでは、デュシャンが芸術の世界そして広く文化人として伝説的な地位を獲得した最後の20年についてひも解きます。
《与えられたとせよ 1. 落ちる水 2. 照明用ガス》 (通称《遺作》)は、デュシャンとフィラデルフィア美術館との関係を大変よく示す作品です。デュシャンがフィラデルフィア美術館内の、自身による《大ガラス》が設置してあるすぐ近くの空間に設置することを想定して制作していたもので、彼の最後の作品となりました。彼は20年以上誰にも言わず、秘密でこの作品を部分ごとに制作していました。死後、この作品の制作について記した彼のメモが見つかり、その制作していたすべてのパーツをフィラデルフィアに移送、組み立てたのが、現在同館に常設されている《遺作》です。
この作品のいくつかのモチーフは《大ガラス》と共通するものであり、彼は《遺作》が常に大ガラスと近くにあることを強く望んでいました。
本展では、《遺作》を映像で紹介するとともに、制作に至るまでのメモなどの文書類、また《遺作》の一部となったオブジェなど、彼の最後の作品の制作状況を生々しく伝える資料、また各地で行われたデュシャンの展覧会の写真を展示します。

(公式HPより)

 

125
作品:「ダダ1916-1923」
英題:”Dada: 1916-1923”
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:活版印刷、展覧会カタログおよびポスター

このポスターは、ニューヨークの画廊で行われたデュシャン自身が企画と設営を行ったダダ運動の歴史を解説する展覧会の作品リストにもなっている

 このデザインが超気に入って、好きになりました!
 作品リストという大きな情報が綺麗に並んでいるし、ハンコのように押された展覧会の名前も綺麗だし。シンプルでありながら、膨大な情報量が詰められていて見事だと思います。

 

 

 

132
作品:雌のイチジクの葉
英題:Female Fig Leaf
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:青銅
補足:1961年/原型1950年

《遺作》の中央の人物を制作するために使用された技術と同じ技術で作られた。…タイトルは、聖書の創世記および西洋の彫刻の歴史において、恥ずかしい裸を隠すために使われる植物をしめしている。しかし、この彫刻は、女性器が型押しされたイメージをあらわにしていると思わせることで、その葉の歴史的役割を反転させている。

こういう作品はかなり好みです。一見しただけでは銅の塊でも、こうしてタイトルが意味を付けるだけで深さが変わるって面白いです! まぁ、「女性器を型押し」ってなかなかインパクトあるコンセプトですけどね(笑)

 

 

 

131
作品:『シュルレアリスム、さえも』第1号
英題:Le Surréalisme, même, (No.1)
作者:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
材料:刊行物

雑誌の表紙を飾ったこの作品(132番《雌のイチジクの葉》)の写真は、量的な部分と浮き彫りの部分を反転されているかのように見せることにより、この反転の考え方をさらに一歩進めている。…ポジとネガを反転させるアイデアを写真と鋳造彫刻の両方から取り入れている。

型押ししたものを反転させたら、元に戻るわけですよ。となれば、イブの女性器の写真ってことになりますか。最初に作品を観た時の衝撃が大きくて、解説を読んで「そういうことか」となりました。

 

 

 

147
作品:11丁目のアトリエにある《遺作》
英題:Ètant donnés in the Elenemth Street Studio
作者:デニス・ブラウン・ヘア
材料:ゼラチン・シルバー・プリント

デュシャンの未亡人は、1969年にフィラデルフィア美術館に移設する直前に完成したデュシャンの《遺作》を彼のニューヨークの最後のアトリエにある状態で記録することを写真家のデニス・ブラウン・ヘアに依頼した。

個人的には、《遺作》はもう少し見やすい形で写真等なんらかの展示をして欲しかったのですが、この写真と映像資料だけでした。(調べたら「フィラデルフィア美術館での恒久展示」が遺言だったそうです)

 

 

 

 

第2部「デュシャンの向こうに日本がみえる。」

東京国立博物館所蔵の国宝・重要文化財を含む日本美術作品24件で構成、もともと西洋とは異なった社会環境のなかで作られた日本の美術の意味や価値観を浮かび上がらせることにより、日本の美の楽しみ方を新たに提案しようとするものです。
デュシャンは、伝統的な西洋美術の価値観を「破壊」しながら創作活動を行いました。一方日本では、400年前に千利休(1522〜91)が普段の生活のなかで、使われる食器などに「美」を見出しています。デュシャンが行った創作活動の結果新たに生まれた西洋の価値観と、日本の伝統的な美的特質が合致する場面はこのほかにも多々あるのです。
本展は、「デュシャン 人と作品」と隣接する展示室で開催、5つの切り口で日本美術の特徴を紹介します。デュシャンの向こうに見える日本美術の核心を感じ取っていただければ幸いです。

(公式HPより)

 

1:400年前のレディメイド

「竹一重切花入」は、千利休(せんのりきゅう)が天正18年(1590)の小田原攻めに同道し,伊豆韮山(にらやま)の竹をもって作ったといわれた作品をもとに作られたものです。真竹の二節を残し、一重の切れ込みを入れた簡潔な作です。利休は陶工など職人が精巧に作った器や花器ではなく、傍らにあった竹を花入に用いて絶大な価値を持たせました。これは、究極の日常品(レディメイド)です。

(公式HPより)

 

1
作品:竹一重切花入 銘 園城寺
英題:Flower Vase with Side Opening, Known as “Onjoji”
作者:伝千利休作
材料:竹

天正18年(1590)、千利休は豊臣秀吉の小田原城攻めに従い、箱根湯本で伊豆韮山の竹を切って花入れに見立てた。利休はかたわらにあった「ただ」の竹に、美意識を見出し、それまでになかった絶大な価値を生み出した。

個人的にはこれは「レディメイド」とは呼べないと思います。そもそも「大量生産され消費される既成品」ではないし、曖昧な「竹の機能」を剥奪するとはどういうことでしょうか? そもそも定義に当てはまらないと私は考えます。

 

 

 

 

2:日本のリアリズム

古来、日本の絵画は、記号化された形象によって事物を表現していました。つまり視覚的なリアリズムが、ほとんど求められていませんでしたが、江戸時代の浮世絵師・写楽は伝統的な絵の描き方を学ばなかったため、女形を演じる役者を男として描くなど、歌舞伎役者を見たままに描こう(リアリズム)として非難されたのでした。

(公式HPより)

 

3
作品:三代目大谷鬼治の江戸兵衛
英題:The Actor Otani Oniji Ⅲ as Edobei By Toshusai Sharaku
作者:東洲斎写楽
材料:大判 錦絵

寛政6年(1794)5月、河原崎座上演の『恋女房染分手綱』の一場面。由留木家の家臣、伊達与作と重の井との不義の恋と、それにまつわる悲劇が描かれている。大きく広げて威嚇する両手は緊迫感を強めている。

 これもデュシャンと比べられるのか疑問です。そもそも時代が違うし、「浮世絵」と「芸術絵画」では目的が違うじゃないですか。

 デュシャンの場合は概念や目的があった上での明確なキュビズム的描き方です。でも大衆向けの浮世絵ではそんな実験的な事はできなだろうし、町人の好みや依頼主の注文とか色々と絡むと思うんですよね。個人の作風と“日本人”の感覚を比べていいものなのでしょうか?

 

 

 

3:日本の時間の進み方

日本の絵巻物は、独自の発展をとげました。特に「異時同図(いじどうず)」という描写方法は、同じ風景や建物のなかに、同一人物が何度も登場して、時間や物語の経過をあらわします。絵巻物をひも解き、開きながら絵を鑑賞することで、絵巻を見る人は、登場人物たちが生き生きと動き出すように感じるのです。絵巻物は、まさにアニメーションの祖先ともいえるでしょう。

(公式HPより)

 

15
作品:平治物語絵巻 六波羅行幸巻
英題:Narrative Picture Scroll of The Chronicle of the Heiji Civil War: The Removal of the Imperial Family to Rokuhara

平治の乱(1159年)をとりあげた合戦絵巻。源氏方によって御所に幽閉していたはずの二条天皇が、六波羅邸へ脱出したという知らせを乱の首謀者信頼が聞いて、慌てふためき、きびすを返し、御簾をくぐり室内を覗く一連の動きが生々しい。

 多分、赤い袴を履いた人物が信頼でしょう。めっちゃ驚いていて面白いです。
 「1コマに時間を描きこむ漫画みたい」という感想を書きましたが、まさにそれですね! 漫画のルーツを辿ると《鳥獣人物戯画》繋がるって説を聞いたこともありますし!

 

 

 

4:オリジナルとコピー

「作者が独自に考え抜いて作り上げた、世界に唯一無二の「一点」にこそ、芸術としての価値があるものと考えられています。しかし近世以前の日本では前例に則り、まさに「模倣(コピー)」が当然のように行われていました。
400年の歴史を誇り、日本の画壇に君臨した狩野(かのう)派の絵師たちは、連綿と描き続けられた手本をもとに多くの絵画を制作していたのです。

(公式HPより)

 

18
作品:梅下寿老図
英題:Shoulao under a Plum Tree
作者:伝雪舟等楊筆
材料:絹本着色

長寿を授ける神仙の寿老に鹿がより添い、松竹梅の枝が絡みつくように重ねられて、画面のなかに奥行きのある空間を生み出している。咲き誇り梅花など画面のほとんどが、めでたさを示すもので埋め尽くされている。

 

19
作品:寿老
英題:Shoulao
作者:橋本雅邦
材料:紙本墨画

400年前に描かれた寿老の姿勢や顔の向きなどの姿勢を踏襲しながら、黒々とした太い輪郭線によって衣を描き、勢いのあるシンプルな筆遣いで画面の余白を活かした表現によって、画面上に視覚的なコントラストが強められている。

 もはやここまでくると、デュシャンの何とこじつけたいのか呆れてきます。
 素人の感想ですが日本における模倣や構図の伝承は歴史があり、流派や縁起など色々な要素が絡まった上での表現だと思います(以前に初音ミクや手塚治虫作品とコラボした琳派の作品をみた時に強く思いました)。

 一方、デュシャンの「レディメイド」にそもそも「コピー」という概念はないと個人的には解釈しています。機能を奪うのであって、コピーでもオマージュでもないと思います。

 

 

 

5:書という「芸術」

東洋において書は、造形の最上位に置かれたのですが、日本では絵画や諸工芸とも密接に関わりました。
能書家の光悦(こうえつ)は、自らの書を俵屋宗達(たわらやそうたつ)など一流の絵師に下絵を描かせ、その上に文字を書しました。その文字の形は、字の示す意味だけでなく、文字そのものの形と配置が美と直結したものでした。

(公式HPより)

 

23
作品:桜山吹図屏風
英題:Cherries and Kerria Roses
作者:[書]伝本阿弥光悦筆、[画]俵屋宗達筆
材料:紙本着色

緑の丘に白く輝く山吹と金の山吹が咲きほこる。その絵の上に『新古今和歌集』の和歌を書した色紙を貼りつけている。色紙には金銀泥で装飾された動植物や風景が趣向を凝らして描かれている。

 確かに日本の「書」は芸術作品だと思います。でも、「書」といった場合は文字としての作品を指すと個人的には認識しています。
 一方でデュシャンは「題名の付け方で観客への効果を期待する」ように“言葉への鋭い感覚”が大きいと思います。だってデュシャンの作品なら印刷された活字で言い訳で、「書」の必要はないじゃないですか。強いて比べるなら「和歌とか短歌」のように“言葉”自体を作品にしたものではないのでしょうか?

 

 

 

 展示内容の紹介は以上です!
 とても面白い、新しい知識をたっぷり頭に詰め込むことが出来た、最高の美術展でした!

 

 

 


 

 

 

 最後まで読んでくださり、
 本当にありがとうございました!!

 


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