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恵比寿ガーデンプレイスを中心に展開される大規模な祭典「第10回恵比寿映像祭」に行ってきました!
【一言】
ずっと気になっていた、初めての「恵比寿映像祭」!
やっぱり映像作品は苦手だと実感しましたが、何作品かお気に入りの作品に出会えたので嬉しいです!
期待していた「コンティングリー妖精写真」はオカルト好きにとってはもう興奮(笑)
【目次】
展覧会内容
第10回開催概要
名称:第10回恵比寿映像祭「インヴィジブル」
会期:2018年2月9日~2月25日(15日間)
時間:10:00~20:00
会場:東京都写真美術館、日仏会館、ザ・ガーデンルーム、恵比寿ガーデンプレイス センター広場、地域連携各所ほか
公式サイト
恵比寿映像祭は、平成21(2009)年の第1回開催以来、年に一度、展示、上映、ライヴ・パフォーマンス、トーク・セッションなどを複合的に行ってきた映像とアートの国際フェスティヴァルです。ロゴのオープンなフレームとしてのカッコが象徴するように、映像をめぐってひとつではない答えを探りながら、映像分野の活性化を領域横断的にめざしてきました。
これまでに参加した作家・ゲストは総勢840名以上におよびます。多くの作り手と受け手がフェスティヴァルに集うことで、映像表現やメディアの発展をいかに育み、継承していくかという課題について、広く共有するプラットフォームへと成長し、今回をもって第10回を迎えます。
(公式サイトより)
映像祭紹介ラジオ
第10回テーマについて
「芸術とは見たものを表現するのではなく、見えないものを見えるようにすることである」。画家パウル・クレーの言葉を引用するまでもなく、芸術は、目に見えないものを見えるようにすることで、見る側を刺激し、新しい対話をうみだしてきました。
一方、光学技術によって誕生した写真や映像は、見えないものを見えるようにするのみならず、実際には存在し得ない対象まで可視化してきました。映画は、現実世界をそのまま映し出すことが難しかった発明当時においては、魔術や幽霊のような存在としても受け止められました。しかし、映像が日常に浸透している21世紀の現在において、誰も映像を魔術や幽霊と考えることも、また現実と見間違えることもありません。むしろ、大量のイメージがあふれる現代だからこそ、何が現実をあらわしているかが、見えにくい時代にもなっています。
映像は、光と影によってイメージを映し出すメディアであり、世界を光によって照らし出す一方で、同時に、可視化できない現実を浮かび上がらせる特性をもちます。第10回恵比寿映像祭では、映像が潜在的に表現してしまう、この不可視性=「インヴィジブル(見えないもの)」を総合テーマにすることで、映像の見方の歴史を考察し、現代における「インヴィジブル」を読み解くことから、未来の可能性を探っていきます。
(公式サイトより・一部改変)
感想
全体感想
恵比寿映像祭が毎年開かれている事は知っていましたが、実際に行ったのは今年が初めてです。やっぱり、映像作品は苦手です……。
少しだけ、私が映像作品を苦手に思う理由を書いておきます。今回に限らず、他の美術展などでも毎回感じているこの「苦手さ」なので。
理由は、「時間に縛られる」というのが1番です。映像はその作品が何分、何時間なのか決められているから、自分のペースで鑑賞することが出来ません。再生の途中から見てしまったら、もう一度見なければならないし、ずっと立つだけでも疲れるので尚更です。
あと、立体作品や絵画のように形が定まっていないから、結構抽象的な作品も多くて、理解が難しいのも理由の1つです。
(写真はパンフレット=無料でこんなに良いものを!)
まぁ、そんなこんなで映像作品が苦手な私が今回の映像祭に行った訳は、展示作品の中に気になる作品を見つけてしまったからです…….それはこの後で詳しく紹介する「コンティングリー妖精写真」に関連する展示です。
その他の感想としては、何点か映像作品の中で私のお気に入りとなった、心を打たれた作品に出会うことが出来ました! これなやっぱりなかなか嬉しいものです。
それから、こういう映像作品・現代アートの世界にまでGoogleやAppleといった企業のツールやサービスが入り込んでいるんだなぁ~と思いました。(逆に、アーティストが最新のツールを利用しているのかもしれませんが)
コンティングリー妖精写真
今回のメインとして私が見に行ったのが「コンティングリー妖精写真および関連資料」の展示です。オカルト好きにとってはとても嬉しい展示です(笑)
別に章立てして紹介したいと思います。
作品:コティングリー妖精写真および関連資料
英題:The Cottingley Fairy Photographs and Related Materials
紹介ページ
1917-20年、英国北部に住む二人の少女が、妖精たちの姿を写真におさめた。作家コナン・ドイルの紹 介により「コティングリー妖精写真」として有名になったこれらの写真は、偽造だったことが明らかになった 今も尚、見る者の心を異世界へと誘う。本展示では、妖精研究者・井村君江氏の所有する新資料(妖精 写真の調査を実施した神智学者エドワード・L・ガードナーの遺品)を基に、新たな角度から妖精写真の魅 力を紹介する。
という感じです。シャーロック・ホームズを生み出したコナン・ドイルが絡んでいるというだけで凄いですよね(笑)
「コンティングリー妖精事件」顛末
1917年、イングランド北部のコティングリー村に住んでいたエルシー・ライト(当時16歳)とその従妹フランシス・グリフィス(当時9歳)は、エルシーの父親から借りたカメラを携え、家の近くを流れるベック(小川)に出 かけました。少女が撮影した二枚の写真を現像してみると、そこにはエルシーの前で踊る妖精たちと、フラ ンシスの膝に飛び乗ろうとするノームの姿が写し出されていました(写真A、B)。
1920年、妖精写真の存在を知った神智学者エドワード・L・ガードナーは、少女たちに新しいカメラを与えました。少女たちはガードナーの期待に応え、さらに3枚の妖精写真を撮影してみせました(写真C、D、E)。
これらの写真に並々ならぬ関心を寄せたのが、名探偵シャーロック・ホームズの生みの親であり、熱心な心霊主義者でもあった作家アーサー・コナン・ドイルです。超常写真研究会(The Society for the Study of Supernormal Pictures)の副会長として、心霊写真の調査に没頭していたドイルは、 ホームズものを連載していた雑誌『ストランド・マガジン』の1920年クリスマス号に、妖精写真を紹介する 記事を発表しました。この記事が話題となり、妖精写真の存在は広く知れわたることになります。
騒動から半世紀以上が経過した1983年、撮影者であるエルシーとフランシスは、妖精写真がフェイクであったことを公に認めました。ただし、フランシスの証言によれば、彼女たちが妖精を目撃したことは事実であり、妖精たちの日光浴用のベッドを写した写真Eは「本物」であるといいます。
真相はともかく、無垢な少女たちを媒介として、人間と妖精の世界が融合する幻想的なイメージは、撮影から百年が経った今も なお、色褪せない魅力に満ちています。
ここからは、展示されていた5枚の写真と解説プレートの内容を掲載していきます。この解説文章はコナン・ドイルが書いたものです。
◆写真A フランシスと妖精たち
エルシー撮影。1917年7月、太陽の照る貼れた日。「ミッジ」カメラ使用。撮影距離1 メートル20センチ。シャッタースピード50分の1秒。原板を専門の写真家が点検、分析の 結果、二重写し、修正、その他人工の痕跡はなく、戸外の自然光で撮影、そのまま焼き付 けられたと確認。露出は不十分。フランシスと背後の滝までの距離約6メートル、彼女は 小川の土手に向かって立つ。右手の二人の妖精の間に五人目の妖精の姿が見える。妖精 たちの色彩は少女たちによると、淡いピンク、グリーン、薄紫、藤色などで、その色彩は羽 根に出ている。肢体と衣服はほとんど白に近い。各々妖精は特色ある色をしている。
◆写真B エルシーとノーム
フランシス撮影。1917年9月、良く晴れた日。「ミッジ」カメラ使用。撮影距離約2メー トル半。シャッタースピード50分の1。Aの写真と同じく、原板は専門家により、引き延ば しも、分析、点検を受けている。原板は露出不足。エルシーはノーム(民間ではゴブリン と同一視されることもある)と遊んでおり、膝に来るよう招いている。ノームが飛び上がる ところを、カメラを持ったフランシスがシャッターを押して撮った。ノームは黒のタイツ、赤 茶のジャージ、明るい赤のトンガリ帽子。羽根は妖精に比べ、戦に似てやわらかい中間 色。左手に持つ笛は、あたりが静かな時に微かに響く。妖精は既に乗せて感じる「微かな 息」程度の重さだという。
◆写真C フランシスと翔ぶ妖精
1920年8月、エルシーが撮影。「カメオ」カメラ使用。撮影距離約90センチ。シャッ タースピード50分の1秒。このネガと続く二つ(写真D・E)は、初期の撮影と同じく厳しい 検査を受け、まったく純粋な写真で、ほかの痕跡はないと発表される。これらの写真もま た、乾板一枚一枚に印を付け、このことを二人の少女には知らせずに渡し、それが使用さ れたと立証されている。妖精は葉の下から飛び跳ね、しばらく浮くことを数回している。妖精が前よりやや高く飛び上がり、フランシスは顔に触れると思ったのか、無意識に頭を後ろ に反らせた。妖精は薄紫の、身体にピッタリした服を着ている。
◆写真D エルシーにヘア・ベル(イトジャシン草)の花を差しだす妖精
妖精はやぶの木の葉の上に、静かに立っている。羽は黄みがかった玉虫色、ドレスの上側は淡いピンク色。
◆写真E 妖精たちの日光浴の繭
原板が特に偽造不可能な写真である。ある専門家の写真でも絶対に不可能とのこと。 少女たちは何か分からず写したという。草むらの真ん中に下がる豆のさや、または繭に似たものに今まで見たことがなく、何なのか知らないという。妖精愛好者で観察者である人の話ではニュー・フォレストなどで、妖精が秋のどんよりした天気の後に使うために、非常に手早くこしらえる磁気の浴槽だという。蘭を通過した光線が内部を磁気化するので、この浴槽に入ると生命力と活力が回復するのだそうである。
『メアリー女王のギフトブック』
そして、これらの妖精写真の真相が暴かれた大きな証拠になった資料の展示がこちら。
妖精写真についての真相が当事者によって明かされたのは、撮影から60年以上が経ち、ドイルやガードナーを含む関係者の大半が亡くなった後のことです。
当時の経緯を詳細に追っていた社会学者ジョー・クーパーは、1981年にフランシスから真相を打ち明け られた後、翌1982年、雑誌『アンエクスプレインド』に「コティングリー事件一ついに真相が」という記事 を発表しました。これを受けて翌1983年、ロンドンの新聞『タイムズ』4月9日号に、写真は捏造だったと いうフランシス自身による告白が掲載されます。
当事者の告白へと至る過程でもっとも決定的な意味を持っていたのは、挿絵本の研究で知られるイギリスの美術史家フレッド・ゲティングズによる指摘です。1977年の著書『写真の中の幽霊たち』でゲティング スは、写真Aの写真に写った妖精の姿が、1914年に出版された『メアリー王女のギフトブック』という絵本に収められた挿画に酷似していることを明らかにしました。実際にフランシスはこの本を所有しており、 1917年にはエルシーの家に持ち込んでいたことが判明しています。
ガードナー資料に含まれる調査記録
この「コンティングリー妖精事件」において少女たちにカメラを渡したガードナーの調査記録に関する資料で、これらを現在保管しているのは日本人の妖精研究家だそうです。
ガードナーの範には、コティングリー妖精写真に関する資料の他、関連すると思われる他の事例につい ての調査資料も収められていました。
一つは、神智学者イライザ・アデレード・ドレイパー(1894 – 1960)によって記されたグラスゴーでの調査 の報告書です。この報告書は、後に夫となるガードナーに宛てられており、グラスゴーで撮影された妖精 写真について実施した現地調査の様子が記されています。文中には、心霊主義を通じてドイルとも親交の あったグラスゴーの実業家ジェフリー・ガースカデンや、コティングリーでの調査にも参加した霊視者ジェフ リー・ホドソンらの名前も登場しています。
もう一つは、霊能力者と思われる「グラント夫人」という人物による心霊写真についてのメモです。グラント
夫人の正体については、まだ詳細が分かっていませんが、メモの一部は鞄の中に同梱されていた心霊写真と 対応していることが推測されます。井村氏がオークションで落札した時点で、鞄の中身は整理されておらず、資料の大半は断片的なもので した。しかし、その後の調査により、資料同士のつながりも少しずつ判明しつつあります。
展示紹介&感想
「展示」と書きましたが、印象に残った作品を紹介して終わろうと思います。
作品:適切な運動による神への近寄り方
英題:How to Reach God Through Proper Exercising
作者:ガブリエル・エレーラ・トレス(Gabriel HERRERA TORRES)
紹介ページ
作品サイト
作者サイト
作品Trailer
スポーツを嗜む人々が集うポーランドのありふれたレクリエーション施設。男は、 仲間のひとりに、自分が見た夢を打ち明ける。一見代わり映えのしない営みの なかで、ささやかな謎が、やがて不可思議な連鎖を呼ぶ。メキシコ出身の映画 作家、エレーラ・トレスは、入念だが言葉少ない画面の連なりによって、描かれる 人物や状況の背後にある名づけえない何かを、静かに、しかし確実に提示す る。そして、見る者もまた次第に、その不条理のなかに取り込まれていく。
約20分程度の映画ですが、かなり気に入りました。見ていて感じたのは「違和感」です。映画が進んでいくにつれて気味の悪さと異様な雰囲気が増していって、淡々と続く物語には軽く怖ささえ覚えました。
作品:夜のラジオ
英題:Radio at Night
作者:ジェームス・リチャーズ(James RICHARDS)
紹介ページ
「夜のラジオ」とは、作家自身や他の評者が彼の作品に言及するときにしばし ば用いてきた言葉である。それはラジオという通信技術が可能にした、親密で官能的な音の時空間のことだ。映画やホームヴィデオのワンシーンから、医療映像や屠殺を映したものまで、一見関連性のないフッテージが、サウンドトラックと ともにあるムードをともなって紡がれていく。《ミノタウロスのラッシュ》(2015)では、接写した肉や毛髪であろうイメージが歪まされ、コラージュされたものが機械的に表示される。身体の全体像は視えないが「夜のラジオ」の音声を背景に、独特の官能的な体験が立ち現われてくる。
私好みの作品というか、雰囲気とかがピッタリと合った作品です。映像自体は気持ち悪くなるようなカットやシーンで構成されているのに、どこかまとまっていて、美しいとさえ感じる程です。こういうグロテスクな作品はかなり好きなので、好みの作品でした。
作品:孵化日記 タイワン
作者:青柳菜摘
紹介ページ
孵化日記
「孵化日記」は、2011年より続くシリーズ作品である。作家自身が、身近な自然の中で蝶の幼虫を探し飼育する様子を記録した映像が軸になっている。映し出されるのは一見ごく日常的な風景だが、映像はナレーションや会場に配された物とともに、非直線的かつ多画面に展開される。観る者は「記録」の一言で括られるものの中に、不定形さと一望性の無さを発見することになるだろう。「孵化 日記」は青柳自身が述べるように「記録」の拡張であり、現実との間に新たなナラティヴとして立ち現われてくるのである。
イモムシが成長して蝶になるまでを追った記録映像なのですが、制作者の淡々としたナレーションと、虫の映像には少し嫌悪感さえわきます。でも、それが良いんです! あと、成長日記なので続きが気になっちゃうんですよねぇ~。
孵化日記Ⅱ
孵化日記Ⅵ
孵化日記ダイジェスト
作品:ワンダーランド
英題:Wonderland
作者:エルカン・オズケン(Erkan ÖZGEN)
紹介ページ
作品(非公式からアップされたもの)
シリア北部の小さな町コバニで家族と暮らしていた13才の少年ムハンマドが語り手となる(ワンダーランド》(2016)。コバニは2014年9月にISISが開始した悲惨な攻撃に対して、107日間にわたり抵抗したことで世界的な注目を集めるようになった。耳が聞こえず口のきけないムハンマドは、ISISからトルコへ逃れる時に目撃しなければならなかった事実と自らのトラウマを強い身振りで淡と伝える。戦争の事実を知らない観る者に、彼が語る事実の真偽はわからない。ただ彼の身振りだけを映し出した映像が何を伝えるか、それを想像することが観る側にゆだねられている。
この映像作品は衝撃的でした。まだまだ記憶に新しいISによる攻撃の惨状は耳に入ってきていましたが、それはニュースとしてのものでした。しかし、今回の映像では小さな子供が一生懸命に伝えようとしていて、言葉での説明がないから内容を必死に理解しようと見入りました。 とても印象強く心に残る作品でした。
今回の映像祭の感想は以上になります。
解説からの引用が多くて読みにくかったし、つまらなかったかと思いますが、ここで終わらせて頂きます。
最後まで読んでくださり、
本当にありがとうございました!!