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【個展】『落合陽一、山紫水明 ∽ 事事無碍 ∽ 計算機自然』──視覚的な美しさと、解説内容の難しさと。

2018.5.1鑑賞

落合陽一の個展のポスター

 
【一言】

機械と自然の概念的な融合。
視覚的な美しさ・綺麗さと、文章的な奥深さが混じり合った個展。
自然は進化し、機械は深化する。

機械で造られた“自然”は、何故かとても“有機的。”

 
【Twitter140文字感想】

 

 

 

 

 

個展の概要

 

落合陽一の個展

【 展示概要 】

メディアアーティスト落合陽一の新作や近年の作品を集めた個展、「落合陽一、山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」をピクシーダストテクノロジーズ株式会社がGYREにて開催します。本展覧会は弊社CEO落合陽一がアーティストとして向かい合ってきたテーマである「映像と物質」の間の探求をテーマにした近作や、「東洋の持っている<物化>の過程を詩的に体感する旅路」として制作した複数の新作を、近年の落合の制作のテーゼである「計算機自然」をモチーフに展示、構成したものです。

本展覧会では、東洋的美的感覚とテクノロジーによる西洋人間性の超克、1人称3人称の相転移、輪廻転生と無為自然、生物進化と計算機知能といった技術哲学的なテーマを俯瞰しながら、計算機自然による事事無碍な自然美を示すことを目指しました。「Morpho Scenery」など新作4点を含む計15点を展示します。

 場所:EYE OF GYRE – GYRE 3F
会期:2018.4.20~6.28
料金:無料
公式サイトリンク
落合陽一オフィシャルサイト

 

 

 

 

感想

 

 ホームページ等から経歴や活躍を見てもらえば分かるように、メディアアートの代表的とも言える落合陽一さんの個展です。
 私が落合陽一さんを知ったのは、最先端のテクノロジーカルチャー紹介や、アートとテクノロジーが融合した作品を並べる大規模な展示会「Media Ambition Tokyo」でした。

 様々な作品が並べられていましたが、その中でも落合陽一さんの作品は一際目立っていたというか、綺麗で印象的でした。

落合陽一「Levitrope」の浮遊する金属球

 

 

 落合陽一さんの作品は、視覚的に面白かったり、とても綺麗だったりします。
 遠目から見て「なんだろう?」と思わせるような作品は、近づいて丁寧に作品を見るとその美しさを目にすることが出来ます。

 近くで詳しく見た時に、純粋な感想として「綺麗」とか「凄い」って感じられるから好きです。

落合陽一「Colloidal Display」の蝶

 

 

 そんな作品ですが、今回の展示も、そして『MAT』での展示もそうでしたが、個人的な感想として、落合さんの作品って難しいんですよ。何を表現したいのかとか、そもそも解説の文章を読んでも、なかなか難しくて分からない……。

 見て/読んで表面的に「分かる」けど、その真意や表現したい事を「理解」出来たのかというと、全然分かりませんでした……。

 単純に、私の理解力と知識が無いだけなのかもしれませんが、言っていることがあまりにも哲学すぎて、抽象的すぎて本当に分からないんです….(泣)

落合陽一による「Silver Float」

 

 

 作品の理解という点を除けば、その解説の言葉や文句はなんだか格好良いし、挙げられている単語の選び方が秀逸過ぎます。
 以下、作品紹介のところで最初に掲載する落合陽一さんのコメント(?)紹介文(?)などから、その感じは伝わってくると思います。 

 

 

 

 

作品紹介

 

 会場内にまず掲げられているのが、次の2つの文章。
 引用という形でここに掲載します。
(長いので「続きをよむ」で畳みます)

波、物質・知能。
映像・解像度・処理能力。
工業社会のヴァナキュラー性、
然びた計算機、
質量と物質、ボケと精微、
人とメディアの作る生態系に、
空間と時間の五感的融合を
どうやって形作るか、
言語と現象の枠組みを超え、
風景を変換する。
そして、解像度を超えた風景は、
古典美と接続され、
新しい風景を作り出す。 

 

落合陽一はメディアアーティストとして、メディアそれ自体を創造することによる〈透明な表現〉を探している。

〈メディア〉を用い、〈コンテンツ〉のみで語ることのない〈フレームの変換機能自体〉を作品にするための思考を続けている。

そのアプローチはこれまで我々の社会の中で生まれた様々な〈メディア装置〉、例えば光景を風景に変換して来たビデオテープ音楽を一つのセットリストにまとめた光学的記録媒体、ひとつなぎのカセットテープそしてインターネットに開かれたコンビューティングデバイスなど、それらに代表されるような〈メディア装置とコンテンツの相補的関係〉によって、それが作品となる風景を成立させることだ。

それは〈電子電気的なイメージ〉と〈物質〉の間にある表現可能性を探求し続けることだ。

また、〈人と機械の間の調停〉を志向し、多くのプロジェクトからなる旅路で考えを深めてきた。

我々の解像度に関する感覚や表現性は、2018年現在、機械によって〈拡張〉され、〈自然化〉し、〈超現実〉を構成しつつある自然 ──〈計算機自然〉の中のモチーフ、〈非言語的〉であり、原理的な感動をもたらす日本的な美のテーマである幽玄(幽=移ろうかすかなこと。玄ㄧ根源的で確かなこと)の感覚と、〈メディア芸術〉の中での白分のコンテクストに共通点を見出している。

それは、朧げで質量のないイメージを幽として、解像度の高い物質的な表現を玄として、メディア装置を発明することによる、原理的な表現を通じ、工業社会以後の幽玄の現代的解釈を獲得することだ。

また〈解隙度〉に関する議論は〈山紫水明〉などの古典的な美的感覚に接続され、〈事事無碍〉などの仏教的コンテクストは今〈エンド・トゥー・エンド〉という習葉になって、技術論として表出している。例えばディープラーニングによって〈汎化〉され〈実装〉されうる〈寂〉は、コンピュータが作った自然の上にまたがる新たな美的解釈だ。

メディア装置はなんらかの〈フレームの設定〉を行う。メディアの規定するフレームによって、コンテンツは切り出され視点と意味と文脈を持つ。

車窓の映像は車窓というフレームの映像であり、小説が描き出す物語は言葉でフレームされた彫刻である。メディアによってフレーミングされたときから光景は風景に変わり、鑑賞可能な存在になる。

落合陽一は作家性の中で、その幽玄や山紫水明、侘寂に見られるような非冒語的感覚からビジュアルモチーフとしての日本的な古典コンテクストを一旦〈漂白〉し日本古来のビジュアル表現を継承することなく、それでいてエ業社会以後も日本的であるものを目指そうとしている。それがここに見られる。〈侘び寂びた風景〉だ。

 

 

 

 ようやく、以下から展示されていた作品の紹介です。
 例に漏れず、各作品の解説も長いですが、そのまま引用します。

 

作品名
波の形、反射、海と空の点描

落合陽一の個展で展示された鯖

光の波、水の波、海の青、空の青。
日光のレイリー散乱と海の散乱による青。
海中から空を見あげる、そのとき、視覚的なあらゆる波は結合する。
鯖。青魚の保護色は波と波の境界面に見える、視覚的擬態であり、
海と太陽を自然界が光学的に模倣したものだ。
その自然の寂びたプロセスを解像度の高い入力と出力を用いて描きだす。
墨の和紙の上に張られた銀箔のカンバスは、詫びと寂によって描き出された、日本の自然の人為的到達点の一つだ。ここに鯖の光学的擬態を描く。
この解像感は今まで人類に到達できなかった美しさを標榜し、
人為と水棲生物、
二つの自然のプロセスの中に計算機によって超解像された自然を描き出す。
生物という計算プロセスによって、波の形を反射する空と海の点描。

 

Saba

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作品名
計算機自然、生と死、動と静

落合陽一によるモルフォ蝶の作品

自然の解像度の美を考えたとき、
モルフォ蝶の構造の干渉の美を思い出した。
生物がもたらす自然の解像度の美をどうやって人為に描くことができるだろうか。

モルフォ蝶はその翅の美しさからさまざまな装飾物び使用されてきた。
しかし、死んだタンパは脆い。動きを描き出すことはできない。

ここに干渉による構造色印刷を使ってモルフォを高解像度で描き出す。
強靭な人工物は生物的な動きを生み出す。

文明の生み出す然びた構造が人為と自然の差をあやふやにし、
動と静の中に新しいパースペクティブを描き出す。

 

Movement

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Preparing for solo exhibition at GYRE

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作品名
深淵の淵、内と外、人称の変換工程

 

Eyes

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絵画は網膜イメージの結像系を前提として描かれる。
西洋の壁画は風景に固定され、東洋の屏風や潮は動的に表象される。
目の美はカメラと光源によって与えられる。
その視点変換を調停するメディア装置と絵画の関係性はどう定義されるだろうか。
自然の持つプロセスは見るものと見られうるものを包摂する。
生物は、環境を変え,その都度視点を変えてきた。
それに適応するために、遺伝的プロセスの中でイテレーションを重ねながら、
そこに視座を作ってきた。
その瞳の見せるカメラの表象を描く、鑑賞者、
イメージと対峙する瞳に、結像としての工業都市のプリコラージュを作り出し、
その両者の関係を作品にする。
瞳の奥に移る共役なイメージは、人称の自由な変換過程の象徴だ。

人:都市の波

身体運動を作り出す波と三人称としての構造の波

落合陽一による人の目の展示

蛙:界面と泡の波

空気と水の中間生成物として生きる生物と工業

落合陽一による蛙の目の作品

鰐:太陽の波

変温性と太陽、鰐という古典的日本の幻想、鮫。

落合陽一による鰐の目の作品

 

 

 

作品名
Levitrope
リンク:作品ページ

落合陽一による「Levitrope」の浮遊する金属球

公式動画

浮遊は神秘的な現象だ。
重力下で空中に物質が止まる現象は自然との決別を思わせる。
それゆえ浮揚は多くの奇術に取り入れられ、その神秘性が人を魅了してきた。
ステージの上の浮揚は奇術師の神秘的な能力として映るが、
人が介在しない浮揚は鑑賞者に身体性を強烈に思い起こさせる。
なせなら、重力下で支配された自分の身体と重力を解き放つ浮揚物の間の対比が、
再帰的に自らの身体を強く意識させるからだ。この”Levitrope”というメディア装置は、
“lev(浮揚)”と“trope(回転)”からなる造語で名付けられた装置だ。
このメディア装置は金属球が磁気浮上させ、景観を球体に写し撮りながら、
車輪状に回転し続ける。
エジソンの時代、回転するイメージによって
人は自然から実質的な世界を切り出すことに成功した。
ここに実体を閉じ込めた外見を回転させ続ける装置によって
計算機自然時代のメディアインスタレーションを考えたい、。
球状の鏡は風景を切り取り、球状に借景し続ける。
その閉じた世界を提示し、運動させ続ける庭。

 

Levitrope

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 この作品は「Media Ambition Tokyo2017」に展示してありました! やはり外の景色が反射するって重要な要素ですよ。
※下の画像はMAT2017の写真です↓

落合陽一による「Levitrope」Media Ambition Tokyo

 

 

 

作品名
Silver Float

落合陽一による「Silver Float」

公式動画

これは波源を形にした彫刻だ。定まらない波が鏡を作り、
鏡は風景を歪めて波動に変える。
浮揚はその表面にピュアな光景の転写を作り出し、
物質的な振る舞いは光景を風景に変える。
ボーダーは歪み、自然は変換され、風景は無機質な波源に変換される。
音なく漂う銀の有機形状は、常にその形を、
そしてその風景変換機能を三次元空間に示し続ける。
僕は波が好きだ。物質が好きだ。
だから映像と物質の間にある関係性を探し続けている。
ここにある波を形にした物質的な鏡は、物質でありながら重力に逆らい、
形でありながら反射によってそれ自体の形から解放される。
運動は風景の変換装置の一部となる。それらを支えるのは計算機の最適化計算と、
ファブリケーション技術、磁性技術の統合だ。

我々と外界が作るエコシステムー、自然の中に、波が生まれる。波が伝搬する。
形は波を受ける。形は波を知能に伝える。知能は波を経て、形を動かす、それが波を生む。
光景を知能が風景に変換する。そして、その相互作用でまた光景が生まれる。
波動と物質と知能、その連関は美しい.。
分断されることのない自然、世界は巨大な、そして一つの、自然なホログラム演算装置だ。

風景を変換する。然びたプロセスを使って侘を表現する。
無骨でありながら、イメージを結ばず、イメージでありながら物質であり、
物質でありながらテクスチャーを持たない。
波のように自由で、重力から解放された形。
そのインスタレーション空間が見せる視座で、
今、この鏡の彫刻を通じて、ぼくは風景に繋がっている

 

Silver Floats (2018)

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Silver Floats

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作品名
魚鈴

魚が跳ねる水の音はする。姿はまだない。
金属と水の作る錆びた光沢の金属音。目と耳で聴いた音がする。
ガラスと機械の作る然びた工業的パースペクティブが生む背景。

 

 

 

作品名
虫鈴

 虫の音はする。姿はまだない。
生成されるプラズマが大気を震わせ、そのランダム性が虫の音を作る。
ガラスと機械の作る然びた工業的パースペクティブに染み入る虫の声。

 

 

 

作品名
Morpho Scenery

我々は風景から物質性を失ってしまう。

風景そのものの構成要素は物質であるにもかかわらず、空気と目のレンズを経て網膜に光が結像する頃には、風景そのものは二次元のイメージになってしまう。

物質性と映像性の間にアナログの光学装置を挟み込み、運動を持たせる。物質を伴う運動は我々の身体性を喚起し、物質性を感じさせる。

イメージの象徴としての遠景を映像的に変形させるアナログな物質装置は、装置を通じて生ずるイメージとそれが物質である矛盾の間に、イメージと物質を、そして、人為と自然の関係性を描き出している。

 

Morpho Scenery (2018)

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Morpho Scenery (2018)

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 この作品は「Media Ambition Tokyo 2018」で展示されていましたが、展示会場が六本木ヒルズということもあり、本個展以上に美しかったです。(感想リンク
※下の画像はMAT2018のもの↓

 

 

 

作品名
Colloidal Display
リンク:作品ページ

公式動画

物質と映像について探求を続けている。
風景を切り取る丸窓に薄く透明な界面を携えて、
青く輝くモルフォ蝶が浮かんでいる。
シャボン膜の表面に朧げに映し出される物質的な映像は、
超音波振動によって透明な膜を振動させて得られる
拡散状態と映写機の光によって表現されている。
物質的で不完全であるが、確かにそこに輝く胡蝶の像だ。
この作品は触れれば消えてしまう物質的な脆弱性と、
薄さ1マイクロメートルに満たない薄膜の上で
超音波振動と光の出会う場所のみ描かれるという特殊性の上に成り立つ。
映像という音と光によるメディアを再考し、
より物質性を持った映像表現を探求するための思考を
インスタレーションの形で切り取ったもの。

 

Yugen

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 この作品は「Media Ambition 2017」で展示されていました。特に、都心の夜景との相性が抜群でした。
※下の画像はMAT2017のもの↓

 

 


 

 

 

 最後まで読んでくださり、
 本当にありがとうございました!!


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