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【アニメ映画】『ぼくらの7日間戦争』:ユーモアも反抗も喪失した”ぼくらシリーズ”現代版。

 

 楽しみにしていたアニメ映画『ぼくらの7日間戦争』を観てきました!

 宗田理さんの原作シリーズが本当に大好きで、それに角川の実写版2作品もとても大好きで、この劇場アニメも楽しみにしていました! しかも、本作は1988年の実写版から30年後を描く続編的な立ち位置の作品です!

 まぁ、結果から言えば「残念」の一言でした……。
 あのワクワク期待していた高揚感を返せ!と叫びたい….。

 


 

2019年12月13日鑑賞

ぼくらの7日間戦争

ぼくらの7日間戦争

ぼくらの7日間戦争

【評価:2.2/5.0】

 
【一言】

現代の社会と価値観に即した物語かもしれない。
けど、これが『ぼくら』作品とは思いたくない。

胸を通り抜けるスカッと爽快感はなく、
ユーモアあるイタズラをするでもなく、
ましてや”大人への反抗”すら薄い。
これは、違う。

子どもを解放するか?
────否。

 
【Twitter140文字感想】

 

 


 

 

【目次】

 

 

STORY&STAFF

 

ひとりで本を読むことが好きな鈴原守は、幼なじみの千代野綾に片思いしていた。綾は親の都合で1週間後に東京へ引っ越すことが決まっていたが、間近に迫る17歳の誕生日をこの街で迎えたかったという綾の本音を知った守は、綾や友人たちと古い工場に潜り込み、そこで綾の誕生日までの7日間を、大人たちから逃れながら過ごそうとする。しかし、そこで不法滞在者のタイ人の子どもと出会ったことから、守と綾と仲間たちは、思いがけない事態へと巻き込まれていく。
映画.com

予告動画

 

原作:宗田理『ぼくらの七日間戦争』
監督:村野祐太
脚本:大河内一楼
制作:亜細亜堂
音楽:市川淳
主題歌:Sano ibuki
キャスト:北村匠海, 芳根京子, 宮沢りえ and more.
上映時間:88分
日本公開:2019年12月13日
配給: GAGA / KADOKAWA
公式サイト

 

 

 


 

 

 

映画の感想概要

 

 ということで、『ぼくらの7日間戦争』です。
 私は、原作も実写版もこの『ぼくらシリーズ』が本当に大好きなんです。読んでいてい観ていてワクワクするし、楽しいし、スカッとするし。
 それでいて、よく考えられていて、色々な知識やニュースが織り込まれていて、とても良くできた物語だと思います。

 だから、本作『7日間戦争』は楽しみに期待していて、なのでとても残念としか言いようがないです……。

映画『ぼくらの7日間戦争』スペシャル映像

 色々と書きたいことはありますが、頑張って整理します(笑)
 とか言いつつ、無理なので、取り敢えず箇条書きに。

 『ぼくら』の形式を破ったのが一番よくない。

・ラブストーリーにしたこと
・ユーモアさが一欠片もなかったこと
・イタズラで大人を倒すのではないこと
・そもそも目的が「大人への反抗」でないこと
・たった7人という少人数なこと
・戦争の「せ」の字もなかった
・子どもの味方が誰もいなかったこと
・子どもの無邪気さが皆無だったこと
・ってか高校生は子どもなのだろうか

等々。

 多分、この作品の名前が『ぼくら』を冠していなければ、まだ心穏やかだったのかもしれません。『ぼくら』を踏襲した形で作ってしまったから、比較しちゃうし、求めるものも変わってしまいます。

 中でも、「ラブストーリーにしたこと」「大人への反抗でない」という点については、激しく批判したいです。

 原作や実写版では「不純異性行為」になるからと女子を連れ込みませんでした。そういう配慮があったのです。でも本作では完全にラブストーリーが主役になってしまっているんですから。

 それに、『ぼくら』の一番の目的は「大人への反抗」で、その手段としての「解放区やイタズラ」だったわけです。しかし本作では主人公らの動機がズレているから、違和感を感じざるを得ません。

 ただし、価値観が変わったのかも
 1980年代とは社会も子どもを取り巻く環境も価値観も変化しているから、30年も40年も前の尺度で考えるのは注意が必要ですね。

 実際、本作ではインターネットやSNSという新しいメディアを上手く活用しているし、物語中に移民問題や性的マイノリティーのことを描いていたりと、アップデートされている部分もあります。

 これが、現代の子どもたちなのかもしれません。
 そして、この映画だからこそ”今の子ども”に《勇気》を示せていた部分も少なからずありました。(議論の余地あり)

 とはいえ、アニメ化は難しかったかな?

 『ぼくら』の魅力の1つは、騒々しさだと思います。
 クラス全員や男子の多くが全員で一丸となってワイワイガヤガヤと喋り、次から次へとトラップを作動させていく情報量の多さ。
 解放区や秘密基地は、鎖や鉄くずやパイプが埃まみれになっている、雑多な感じが小説からイメージできるし、実写版でも見事でした。

 でも、本作は違います。
 登場するのはたった7人だけで、発言は丁寧に1人ずつ被りません。舞台の廃工場も綺麗で整っています。トラップだって、規模が小さく迫力がありません。

 やっぱり、アニメーションで描くには作業量が膨大になるから面倒くさいんですかね?

 『ぼくら』にはルールがあると私は感じます。

 大人にも子どもにも《超えてはならない一線》があって、物語の中でいかに描かれるか、どう動くのかを決めているような。例えば、作中では「大人と子どもは対等の立場になる」とか。
 でも、私が考えるルールについては、本作では容赦なく壊していたなぁと、悲しくなりました。

 この作品が「管理社会の子どもを解放するか?」と聞かれれば、私は絶対にノーと答えると思います。
 子どもの扱いにしても、物語にしても酷いものです。それにあのラストは絶対に認めてはいけない展開ではなかったのですか?

 

 

 

 

映画の感想内容

 

「ぼくら」シリーズが大好き!

 

 宗田理さんの小説シリーズと、角川の実写版。

 私はどちらも本当に大好きです。
 小説は見境なく読み漁りますが、邦画にはなかなか手を出さない中でも、「面白かった!」と印象の強い映画です。

 そんな大好きな作品。
 その1988年に宮沢りえ主演で実写化された映画から30年後の現代を舞台にした続編ということで、これは本当に喜ばしいものだと期待したものです。

 宗田理さんの原作
 児童文学、ジュブナイル文学に当たるジャンルになるのだと思いますが、本当に読んでいて面白いです!

 抑圧された子どもたちが立ち上がり、「子どもたちが大人をやっつける」という爽快感の溢れる物語には、子どもでも大人でも読んでいて胸が踊ります。それでいて、少し年上の存在が手助けが介入しているバランスがまた見事!
 加えて、戦争、体罰、自殺、虐待、犯罪、環境問題…などの様々な社会問題に、イタズラ、宇宙人、お化け、魔法…などを自然に織り交ぜるその手腕がまた凄いです。

 あの手この手で大人を懲らしめる方法がまた、考え抜かれたアイデア満載で、とにかく読んでいて本当に楽しいシリーズです!

 そして、角川映画の実写版2作
 1988年の1作目は宮沢りえの初主演作としても有名です。

 私は、この実写版がとても大好き!
 中学校の先生たちの憎たらしさも面白いし、それ以上に子どもたちが立て籠もって考え出す奇想天外なアイデアと、大人を精一杯にからかう仕掛けに胸がスーっとする爽快感がありました!
 原作からすると物足りないのかもしれませんが、スッキリと分かりやすいいい構成だったと思います。

 迷路を作ったり、花火をつかったり。今では「やり過ぎでは?」と思ってしまうくらいの妥協ない派手さがもう最高!
 いつも観ても楽しめる映画で、ぜひ子どもたちに観て欲しいな~と思う作品です!

ぼくらの七日間戦争

 今回の2019年に公開されたアニメ版は、この実写版1作目の30年後に当たる作品で、宮沢りえが特別出演をしています。

 少し無理矢理感は否めませんが、とても嬉しい演出もあり、大満足でした!

TM NETWORK / SEVEN DAYS WAR(TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-)

 

 

 

 

『ぼくら』と認めたくない

  

 私は、この作品を「ぼくらシリーズ」に続く物語だと認めたくはないです。今まで戦ってきたものが全部打ち壊されるような寂しさを覚えました。

 タイトルを変えて『お友達大作戦』とか『高校生vs.大人~真の友情とは~』とかだったら、まだここまで比べなかったのでしょうけどね。

 やっぱり、『ぼくら』の形式をことごとく破ったのが一番許されざる部分だと思います。これが、魅力だったのに。

 それに、『ぼくらの七日間戦争』の登場人物たちは皆んな、本当に格好良かったです。でも、本作の登場人物は、うつむき加減なんです。それも、時代の変化なのかなぁ。

ラブストーリーにしたこと

 女子と一緒に立て籠もった部分は百歩譲ったとしても、「ラブストーリー」にした部分にまずは怒り心頭です。

 そもそも、原作『ぼくらの七日間戦争』やその実写版では、「不純異性行為を疑われるから」と男子たちが気を利かせているわけです。
 今回はそれを堂々と描いているわけで、なんだかなぁ~と。

 決して「男子だけの方が強い」みたいな幼稚な理由ではなく、むしろ女子だって解放区の外で工作活動を手伝ったり、差し入れを持っていったりと、共闘をしています。
 だから、今回もどうにか考えても良かったのではないかな?と思います。

 ただし、現代的な視点で見れば、「女子だから~」というのはジェンダー的に問題がありますから、仕方ないでしょう。可愛いヒロインがいないと売れませんしね。
 でも、恋愛話にする必要は無かったじゃん。例えば、「女子がリーダーをする」とかで強い女性像を描くだけで、一緒に立て籠もる問題も、女の子の活躍というテーマも解決すると思うんですけどね。

ユーモアさの欠片もない

 これ、『ぼくらシリーズ』では最重要では?
 Wikipediaに

宗田はシリーズのテーマでもある“大人への挑戦”と“ユーモラスな戦い”を描くことを条件に再映画化を快諾した
Wikipedia

とありますから、大切なものです。

 大人を倒した時の「ヒャッホー!!やってやったぜ!!」という気持ちよさはユーモアさがないと演出できませんよ。
 でも、残念ながら、非常に残念ながら本作にはユーモアは一切、本当に1mmもありませんでしたねぇ。

 ユーモアがないから、主人公たちのやっていることが不法侵入や占拠、捜査妨害、障害…等々の「悪事」をやっているとしか思えないんです。
彼らをなかなか応援しずらいし、観ていて楽しいものでもないですね。全体的に重いし、暗いし、笑えません。

大人をイタズラで倒さない

 上の「ユーモアさ」にも繋がりますが、彼らのやっていることが「子供のイタズラ」だから笑って見れるし、許せるし、応援したくなるし、やってみたくなるのです。

 「じゃあどうやって倒したの?」と言われると、ネタバレもあるので答えづらいですが、悪い意味で予想外だし期待はずれでしたね。

目的は「大人での反抗」でない

 「イタズラで倒さない」と書きましたが、そもそもこの映画は「大人への反抗」で物語が始まっているわけでも、主人公たちの動機がそれなわけでも無いと私は思います。

 これって、重大な欠点ですよ。
 『ぼくら』のアイデンティティに関わる失点です。

 ここが曖昧だから、物語全体も締まりがないし、面白くもないのだと思います。

たった7人という少なさ

 君たちは、侍かな?ガンマンかな?それとも某聖杯戦争のマスターなのかな? 竹林の七賢」のマネ?

 一体なんで7人だけにしちゃったかな….。
 これは断言しますが、少なすぎます。

 7人だから、仕掛けられるトラップも限界があるし、大人と戦う時も迫力に欠けます。やっぱり、数は大事。
 それに、物語的にもバランスと取る必要があるから大人側の動員数も減るわけで、より迫力が下がってしまうんですよね……。

 たくさん子どもがいれば、たくさんの能力が描けます。花火師やコックさんやメカ担当や筋肉担当とか。そういう部分でもスケールダウンしてしまっていましたね。

戦争の「せ」の字もなかった

 大人への反抗がメインではないから、そもそも戦うこと自体に重きが置かれていなかったような気すらして残念ですね。

 人数が少ないからイタズラの規模も小さく、なんだか全般的に曖昧でテキトーな青春っぽいものを描いて終わってしまった、というのが正直な感想。

 えぇ、胸はスカッとしませんよ。
 むしろ、モヤモヤする感じですね。

子どもの味方が誰もいない

 原作でも実写版でも『ぼくらの七日間戦争』では、廃工場にいたお爺さんや女性の先生が子どもたちの味方をしてくれます。

 味方の大人がいる。
 原作小説シリーズでも、程度の差はあれ、ほとんどの話で大人の味方がいました。これって、私は非常に重要だと思います。だって、「皆んなが敵じゃない」とか「いい大人もいる」とかを描けるし、「必ず味方がいる」という強いメッセージにもなっていると感じたからです。先人の知識も馬鹿にはできない、っていう。

 でも、本作には1人もいません。
 彼らは誰からも応援されず、認めてももらえず、ただただ「子どもの反社会的な行動」としてだけ描かれます
 それってどうなの? 少しくらい救いがあってもいいじゃない…。

子どもの無邪気さは皆無

 子どもの無邪気さ、というか元気の良さ、溢れ出るエネルギー、創作意欲がとても明るくて楽しいのが「ぼくらシリーズ」。
 読んでいて嬉しいし、あの活気ある生き生きとした表情や笑顔がとても印象的で大好きです。

 でも、本作はそれもゼロ。
 まー、高校生ですからね。泥だらけになってハシャグとか無いですよ。(これも大人的な視点? 笑)なんか、皆んな冷静で、怖いくらい元気がなくて、嫌な感じでした。

 第一、主人公が陰キャの根暗の冴えないテンション低い本の虫なんですもん。 実際に現実にはそういう人はたくさんいるし、否定はしません。むしろ、私も独りが好きなので気持ちは分かります。
 でも、フィクションの中くらいは楽しませてよ……。もしそういう人に勇気を贈ろうと思ったのなら失敗ですね。ラブストーリーとかにするなよ!

高校生って子どもなの?

 難しいところですね。
 大人からみれば子どもだし、でも本人たちからすれば十分に大人に近づいていると思います。そんな彼らが主人公。

 まず、考え方が大人です。
 将来の進路とか仕事とか、家の生活とか給料とか。成績とか内申とか。世間体とか評判とか評価とか。そういうものを凄く気にしますから。
 本作中でもその傾向は強くて、大人だなぁという印象が強かったです。

 もう1つ大事なのは「法律」的なこと。
 一応、現在の少年法では未成年の犯罪については、保護処分になったり刑事裁判は免れます。が、17~18歳は成人同様に扱われるようになるし、その前後でも厳しい規定になっています。
 なので、本作では仮に子どものイタズラだとしても、高校生が集団でやっている時点でシャレにならないと思うんですよ。
 そういう、不安も頭の中にチラついたので、やはり中学生とかの方が適切な年齢だったのではないかな、と思います。

 

 

 

 

ラブストーリーの功罪

 

 なんでラブストーリーにしちゃったかなぁ。
 一番不要な要素だと思うんですけどね~。

 まず、「功績」の部分。

 現代では、恋愛観が変わっているでしょうね。
 付き合ったりすることへのハードルが下がったり、ラインで告白したりなんて話を聞きますし。学校内での恋愛は当たり前だし、取り締まったら人権侵害で訴えられそうです(笑)

 そういう意味ではラブストーリーを挿入することは自然な流れなのかもしれません。昨今のコンテンツで恋愛が関わらない作品は少ないですしね。(でも、それを本旨にする必要はないと思うんだけどなぁ)

 次に、「罪過」の方。

 まず、ラブストーリーをメインにした点
 本来であれば「大人への反抗」がメインなはず。原作の方でも恋愛話は挿入されていましたしね。このバランスを崩してはいけません。

 そして、登場人物の関係が規定されてしまう点
 「友情」とは一括にできない関係が生まれるし、「彼は彼女が好き」という目でしか映画を見れなくなってしまいます。もちろん多様性や複雑性は大切ですが、本作はラブストーリーしか押していないんですよねぇ……。

 最後に、物語が振り回される点
 「恋は盲目」なんて言いますが、冷静な判断をできなくなってしまって、調子に乗ったり暴走したりして物語を掻き回します。それ自体は問題ないのですが、理由が「恋」というところに腹立ちます。
すごく感情的になっていて、観ている方が引くレベル。さらに主人公が弱々しいから観ていてイライラするんですよ。

 ラブストーリーだって、色々とあるじゃないですか。

 『名探偵コナン』とか『ソードアート・オンライン』とかみたいに、他人が絶対に介入できない堅い恋愛とか。こういうのは視聴者すら口を出せない確実さがあるので、ただただ見守るだけ。
 他方、マンガとかラノベの「ラブコメ」はコメディ要素があって、見て楽しむ恋愛だから面白いし、色々なキャラを応援できます。

 で、本作はどちらかというと、どちらでもない、と。
 なんかこう….どっちつかずで曖昧で掴みどころがなくて、イライラするんですよねぇ……。

 

 

 

 

「大人への反抗」は?

 

 ここがないのは重大な欠陥です。
 『ぼくら』のアイデンティティがことごとく破壊されてしまっていると断言できるレベルです。

 ぼくらの目的は「大人への反抗」で、その手段として解放区に立て籠もったり、イタズラで大人をコテンパンにやっつける物語が意味を持つのです。

 予告編を見れば分かります。
 公式HPのあらすじ紹介でも分かります。

片思いの相手は、お隣に住む幼馴染の千代野綾。しかし綾は、議員である父親の都合で東京へ引っ越すことを迫られていた。しかも、いきなり一週間後。それは守が密かにプレゼントを用意していた彼女の誕生日の目前だった。
「せめて、17歳の誕生日は、この街で迎えたかったな」。
やり場のない綾の本音を聞き、守は思い切って告げる。
「逃げましょう……っ!」。
映画公式HP

 さて、どこが反抗でしょうか?
 どこでもないですね。
 行動としては父親への反発ですが、動機は「誕生日をこの街で迎える」と「好きな彼女の力になる」というものだということが明らかです。

 なんだろうなぁ。
 もう、物語の序盤で裏切られたというか。
 楽しみにしていた部分が崩れ去ったといか。

 唖然として言葉が出てこないし、初っ端から開いた口が塞がりませんでした……。

 と、まぁ、前半がこんな感じで「動機が反抗じゃない」なので立て籠もりしている時もイマイチ盛り上がらないんですよね~。

 あと、最初っから「1週間だけ」と決めつけているのもダメ
 原作って自然と「そろそろ頃合いか」と引き上げるので、この先がどうなるか読めない楽しさがあったのですが、本作は「1週間後には終わり」と予告されてしまっているようなものなのでね。

 

 

 

 

価値観の変化と現代へのアプデ

 

 まず、価値観の変化。
 子どもたちを取り巻く環境は刻一刻と変化していくので、もう40年も前の価値観を当てはめるのは当然ダメで、今ではほんの数年の違いでも大きな差になる時代です。

 恋愛への価値観の変化とか、将来への見通しとか、そういうものを勘案すると、この映画での描き方は”リアル”なのかもしれません。 こればっかりは、今、子どもである人たちに観た感想を聞きたいものです!

 本作では、きちんと現代へ舞台が変わっています。

 学校での体罰はあるわけもなく。
 メディアも変化しています。原作ではラジオや無線だったものが、インターネットやSNSといった若者必須のツールを上手く活かしたものになっています。(とはいえ、他のTVアニメでもそうですから特筆すべきことでもないか)

 それに、主人公が高校生になったことで、より青春の悩み、個々人のアイデンティティ、コンプレックスなどに焦点を当てようとしていたと思います。
 「していた」と書いたのは、実際には付け焼き刃的というか、それも深くまで掘り下げられていなかった、と感じたからです。せっかく7人に人数を減らしたのだから、頑張っても良かったのに….。ここでも、やっぱりラブストーリー要素が邪魔をしていたんですよね……。

Sano ibuki / 『おまじない (Movie ver.)』Special Movie

 一番印象的だったは、移民問題や性的マイノリティーの存在を物語に取り入れていたことです。
 彼らの存在を描いたり、認めたりするストーリーの展開というのは、昨今のコンテンツ市場では極めて重要だと思います。

 元々『ぼくらシリーズ』では様々な社会問題やニュースや概念を織り込んでいるので、その部分を現代版にアップグレード出来ていました。
 (とはいえ、狙った感が凄かったのは問題でしょうけどね。)

 一方で、時代が現代だからかも。

 現代社会において、子どもが反発する相手っていませんよね。
 40年前の社会と違って先生の体罰もないし、親の虐待だって厳しくなっているこのご時世で、子どもたちが「戦う相手」の存在は不在になっているのかもしれません。

 だからといって「戦う相手を自身のコンプレックスにした」とかいう展開はどうかと思いますよ。だってそんなの別の作品でいっぱいやってます。そもそも、『ぼくら』シリーズの精神に合わないのではないかな?と。

 『ぼくら』は子どもたちのための物語です。

 ここまで大人の私(自称)が色々と書いてきましたが、最終的に面白さやメッセージを判断するのは、観た子どもたち。
 もしかしたら、この映画に描かれていたエピソードから勇気をもらったり、ヒントを得たり、新しい視点に気づいたかもしれません。

 ここは、子どもたちの感想を聞かないと判断出来ない部分ですね。
 でもそういうのを言葉にするのは難しいし、言葉にしちゃうのはもったいないから、ぜひ胸の内で大切にとっておいて欲しいと切に願います。

 

 

 

 

やっぱりアニメ化は難しい

 

 アニメ化発表。
 これは本当に嬉しかったんですよ。

 今の子どもたちにとっては活字や実写よりもマンガやアニメでの表現の方が馴染み深いし、昨今のアニメ人気も加味すれば、とてもいい作品が仕上がると思っていました。

 けど、そもそも「アニメーション」という表現方法自体が、この『ぼくら』作品には向いていなかったのだと気づきました。

 アニメでは、ゴチャゴチャは描けない。

 『ぼくら』の魅力は騒々しさだと思います。
 小説であれば、何人もの登場人物が会話を重ねるように繋げていって、しかも軽快な文体や台詞だから小気味よいテンポと元気な様子が感じられます。それに、文字から頭の中でイメージをいくらでも膨らませられますし。

 実写であれば、それが顕著。
 ワイワイガヤガヤと会話が飛び交って、一人の発言に隣の男子が重ねて、それが広がって…と騒々しい雰囲気を生み出します。
 それに、画面や背景の騒々しさも凄いです。子どもたちは泥まみれになり、廃工場内はトタンや金網や機械部品やドラム缶が散乱していて、「あ、秘密基地だ!」と一瞬でワクワクさせる情報量がありました。
 さらに言えば、大人をやっつけるイタズラも、「迷路+放水+花火+…」といくつもの合体技で複雑な戦いが、あっちこっちで同時並行的に描けていました

 では、アニメ版はどうか。

 登場人物は7人と少ない上に、台詞が被らないように1人ひとり別々に喋ります。
 キャラクターたちは泥や埃まみれになることはなく、舞台の廃工場も綺麗に整理されていて、なんだか物足りない感じ。
 イタズラに関しても、1つ1つ別々のものを描いてつなぎ合わせているような感じで、薄っぺらいです。

 どうしてかな?と考えれば、すぐ答えが。

 多分、「描く手間」でしょうね。
 登場人物が増えればそれだけ描くものが増えるし、服が汚れればその演出の手間が増えます。背景だって物が多ければ大変だし、視点が切り替わった時に対応するのが面倒くさいし。

 他のアニメを思い出しても、基本的には主人公を画面の中央に映して喋らせるのが一般的で、何人もの登場人物をワイワイと描いてはいませんよね。
 実写であれば設定や準備さえすればOKですが、アニメとなるとそうはいきません。

 考えてみれば、海外アニメでも、『スター・ウォーズ』や『マーベル』作品は実写は傷跡とか破壊とか画面情報多いですが、アニメになるとシンプルになりますもんね。

 

 

 

 

『ぼくら』にはルールがある

 

 『ぼくら』にはルールがあると私は感じます
 まぁ、私が一人で信じているだけですけど。

 例えば、

・大人と子どもは対等の立場になる
・大人は子どもの尊厳は傷つけない
・子どもは仲間のことを大切にする
・子どもは目的を大人に伝える
・どちらも常識は念頭にある
・子どもの知識をなめるべからず
・事件の引き際をわきまえる

とか。

 これって暗黙のルールというか、作中で子どもたちを守るために著者が設定した構図だと思うんです。

 「超えてはならない一線」が大人にも子どもにもあって、どんなに酷いことをしても、読者が許せてしまうようなラインがあるように思います。

 でも、本作ではこれらが尽く無下にするされてると私は感じました。
 なんか、とても悲しくなったし、残念に思ったし、どうしようもなく寂しい気持ちになりました…..。

 あと、大人を「あえて悪者に描く」ことは絶対にやめて欲しかった
 確かに構図としては「成敗すべき大人≒悪役」ですが、逆に言えば「罰する相手≒子ども」という二項対立の構図が『ぼくら』にはあります。

 だから、双方の価値観が対立して、どちらも絶対に間違っているわけでもなくて。悪とも善とも割り切れないから、面白いのだと思います。
 「子どもを応援するけど、大人の言ってることもわかるな~」みたいな。あとは「この大人はうちの親に似てるな~」とか。

 で、ここを間違えると物語の根幹が揺らぐ気がします。

 大人が「絶対悪」として描かれてしまうと、それは懲罰の対象となってしまうし、観客も擁護しきれなくなってしまいます。
 子どもの純粋さを肯定することは大切だけど、どちらか一方に「正義」を握らせて物語を構築するのは危険だな、と改めて感じました。

 この作品が「窮屈な現代の子どもたちの心を解放するか?」と問われれば、私は自信を持って「ノー」と答えますよ

 それに、あのラスト。
 頭が沸騰するくらい激昂しました。
 あんなラストなら、7日間戦ってきた意味がないじゃん!

 この作品を観た子どもたちは、今まで以上に萎縮して、大人の言うことに従順で盲目的に従うようになってしまうのでは?

 

 

 

 

その他、メモ

 

 まず、主題歌

 本作では「Sano ibuki」が歌う3曲です。
 本編のシーンや登場人物の言動に合わせた歌詞になっていて、とても良かったです。扱い方が少し『君の名は。』や『天気の子』に似ていました。

 『HELLO WORLD』など主題歌が何曲も設定されているアニメ映画が多いように思います。個人的には嬉しいのでありがたいです!

Sano ibuki『決戦前夜』Official Music Video

Sano ibuki / スピリット (Audio)

Sano ibuki / おまじない (Audio)

 それから、主演の北村匠海
 今年は『HELLO WORLD』でも主演でした。それ以外でも、色々な映画やドラマに主演で出演していて凄いですね。

 本作『ぼくらの7日間戦争』も、『HELLO WORLD』も、あとは実写版『君の膵臓をたべたい』でも、少し臆病な主人公を演じるのが上手いのかもしれません。

 メモは、そんなところですかね。

 

 

 


 

 

 

以降、映画本編のネタバレあり

 

現在、動画配信サービス「GyaO!」にて、
本作『ぼくらの7日間戦争』の冒頭8分が無料公開されています!
(※2019年12月16日まで)

gyao.yahoo.co.jp

 

 

 


 

 

 

映画の感想
※ネタバレあり

 

事件の引き際をわきまえる

 

 映画のラスト。

 「誕生日まで」の7日間の戦い。
 6日目の最終決戦を前に、気球で離脱。
 7日目、道の駅で中山ひとみと合流。

 ここまでは良いです。
 夢があるし、皆んな楽しそうだし。

 中山ひとみ。
 「青春は、人生の解放区よ」
 『ぼくらの七日間戦争』でヤンチャしたことを良い過去にして、とても綺麗な大人になっていましたね。彼女のキャラ、とても良かったです! それに、車内に戦車に乗った集合写真を置いているのも、嬉しい演出です!

 それに、マレット。
 彼女が女の子だというのは、映画の途中で「わたし」と発した辺りで気づきました。様子が変だな、というのも。
 でもまさか、守に恋心を抱いていたなんで思いもよらず! 最後のキスシーンで全部持っていかれました…!! 髪飾り付けた彼女、可愛かったです!

 で、ここからが本題。

 結局、千代野綾は東京へ。
 ここが、腑に落ちない。結局、あれだけ騒いでも父親には1mmもダメージを与えられていないし、東京に行くことになったし。

 なんかハッピーエンドっぽく描いているけど、「大人の決定は覆せない」から「従うしかない」というバッドエンドでは?
 ここまで抵抗しても現実を何も変えられない、ということを描いてしまっていいのか、私は疑問です。

 道の駅でエンディングにして、エンドロールで楽しそうな7人のカットを挿入すれば、それで無事にハッピーエンドじゃなかったですか。

 原作や実写版では、その辺のフェードアウトがとても上手くて、大騒ぎした後の事態収拾の付け方が綺麗なんですよね。

 映画の序盤で、今回の動機が「大人への反抗じゃない」というところにショックを受けましたは、まさかラストもとは。

 さすがに、これは救いようがありません……。

 

 

 

 

大人は子どもの尊厳は傷つけない

 

 本作の大人は、本当に汚い。
 原作では悪い大人はいても、とてもユーモラスに描かれていたから、見ていて苦しくなかったんです。

 でも、本作の大人は徹底的に「悪党」で描かれているから、イライラするし、このシリーズの新作として違和感しか覚えませんでした。

 上で挙げた、『ぼくら』のルール。

「大人は子どもの尊厳は傷つけない」

 原作でも実写版でも、物語が始まる前提としてのバックグラウンドでは、大人は様々な悪さをしています。体罰や虐待や犯罪とか。
 でも、いざ物語が始まると、子どもたちに攻撃をほぼしないし、攻撃しても限度が知れています。

 でも、本作は違う。
 子どもの個人情報をネットで晒しました。

 ブチ切れるかと思いました。これは子ども側ならやってもいいけど、大人がやったら反則では? ルール違反ですよ。汚い。
 確かに、今のネット民ならやってもおかしくないでしょう。けど、それは公平な勝負のルールに反するので、絶対にやらせてはダメだったと思います。

 

 

 

 

子どもは仲間のことを大切にする

 

 まず、目的が一致していない。
 そこが大きな問題です。

 綾は、誕生日まで逃げたかった。
 守は、駆け落ちを狙っていた。
 香織は、綾の側にいたいから。
 壮馬は、ただ面白そうだから。
 紗希は、暇だったから。
 博人は、無理やり参加させた。

 こんなバラバラな動機の彼らが、一致団結なんでできるわけないじゃないですか。本当の姿を隠すのは現代では誰もが当たり前のようにやっていることです。その点はリアルだと思います。けど、せめて目的だけでも揃えて欲しかった……。

 だから、「友達ごっこ」的な内容の物語がずっと続いて、それがつまらなく感じる要因の1つにもなっていました。

 そういう意味では、千代野議員秘書のやったネットへ晒す行為は、物語の展開としては「転」としてとても意義あることだったと評価もできます。

 ネットで晒されて。
 誹謗中傷が吹き荒れ、本名が特定され、過去が暴かれ、裏アカは発見されて、すべてが暴露されていく。

 このシーンは辛かった。
 人が隠している秘密に触れるのはよくないし、それを映画で描くのは反則な気もするけど、実際に行われている現実ですからね。

 その後の、カミングアウト・タイム

 「俺、喋りまーす!」
 守のこの勇気ある行動は称賛されるべきだと思います。雨降って地固まる、なんて言いますが、まさにそんな形ですよね。
 こういう形で互いに仲を繋ぐにはどうかと思うけど。理想は、やっぱり喧嘩して仲直り、というのが物語的ですよね。

 「千代野綾さんが好きだ!」
 不覚にも、少し格好いいと思ってしまいました。

 綾は、香織のことが好きだと告白。
 香織も、綾に好意が湧いていたと告白。
 博人は、本当は嬉しかったのだと告白。

 いやぁ~最後に色々とぶち込みましたね。
 正直、ここで同性愛の話を持ち出すのは卑怯な気もしますが、いいシーンなので目をつぶりましょう。彼らの間に開いた大きな割れ目を上手く修復したと評価したいです。

 そして、
 「ここがスタートだな、俺たちの」

 キャッチコピーにもあるこの言葉、とても良かった!

 

 

 

 

「大人」とは?

 

 劇中で「大人とは」という質問がありました。
 それに対する回答は、「目上の言うことに従う者」というもの。

 そういう定義を、大人本人がそう考えているというのを具体的に示すのはなるほどな、と思いました。

 他方で、子どもから見た大人。

 マレットは「嘘つき」だと言います。
 「嘘つきになるくらいなら、大人にならなくてもいい」

 この見方は、面白いですね。
 大人は子供のことのワクワクとかを忘れてしまう。それ以上に「嘘つきになる」というのがいい見方だな、と。どこかで聞いた内容だと思ったら、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に似ていますね。

 しかし、本作はよくない。
 「議員」という生き物は、嘘をついてナンボの商売ですからね。地方議員も、出入国管理官の描き方も完全に「悪者」の描き方。

 仕方ないとはいえ、流石に「悪」として描くのはどうなのかな、と。
 これまでの『ぼくら』と違って、戦争中の7日間に権力まかせの姑息で汚い手を使うから、そこは可哀想だな、と。

 当然、政治汚職や蜜月関係は事実だし、圧力とかもあるでしょうけど、それはさすがに厳しいなぁ……。

 

 

 

 

あれ、『君の名は。』かな?

 

 ちょっと、『君の名は。』に似てません?
 勘違いだけど、似てるって!

 序盤から。
 守の部屋に妹が入ってきて、綾の写真にキスしようとしている場面を目撃して、引くシーン。
 『君の名は。』で瀧が入れ変わった三葉を、妹の四葉が見ているシーンを連想しました。

 そして、オープニング。
 映像こそ違っても、音楽の入り方が完全に「夢灯籠」。

 というか、音楽が全体的に『君の名は。』というかRADWIMPS的なイメージだったんですよね。
 中盤の、コムローイ(灯籠)を空に流す場面で流れた「おまじない」という曲は「スパークル」に聴こえるし。

 あとは、ヒロインが議員の娘で、土建屋の子どもと仲良く一緒にいる、というのも『君の名は。』で触れられていましたし。

 終盤で災害が起こるのも。『7日間戦争』では山体崩壊で、『君の名は。』では隕石落下で。

 まぁ、これは気のせいでしょう、きっと!

 

 

 


 

 

 

 感想は以上です!
 なんだか、比較ばかりでしたね。ゴメンナサイ。
 改めて、原作や実写版が良かったな~と思い出させてくれました(笑) 原作厨で結構。ぜひ、実写版を見ていただきたいです!

 

 最後まで読んでくださり、
 本当にありがとうございました!!

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