※ネタバレなし。
※画像は予告映像のキャプチャです。
2018年11月15日鑑賞
テルマ
(英題:Thelma)
【評価:3.3/5.0】
【一言】
北欧っぽい。
冷たく凍ったような空気に満ちた映像と、
感覚に迫るような音楽が非常に印象的!
宗教的で科学的。
ホラー映画というより、違和感映画。
【Twitter140文字感想】
【 #テルマ 】
大学生活を送る少女テルマが落ちた初恋は、彼女の中に眠る“力”を呼び覚ます。
北欧の冷たい空気が漂う映像と、
感覚に迫るような音楽が印象的。恐怖とは異なる、“違和感”。
宗教を堕とし、科学を嘲る超現実。大人へと成長する少女の中に渦巻く、不安や心配をホラーで繊細に描く。 pic.twitter.com/7pp4xtBPg5
— ArA-1 (@1_ARA_1) 2018年11月15日
感想
感想外観
気になっていた作品で鑑賞!
ホラー映画というイメージでしたが、実際に観てみるとそれとは少し違う方向性。
でも、個人的に好きなタイプでした!
「違和感」が凄い。
映画で感じるのは「ホラー」より「違和感」からくる恐怖…というか“嫌な感じ”。
落ち着いて、淡々と描かれるけど、どこか現実とは違う雰囲気が物語からも映像からも漂ってくる感覚。
今年観た中だと『ザ・スクエア』や『アンダー・ザ・シルバーレイク』『スリービルボード』に近いと感じました。
映画から溢れる「北欧感」。
一番印象的だったのは映像です。
冷たい空気やどこか無機質な感じが漂っています。
ハリウッド映画のように騒々しくなく、非常に静かな沈黙が流れる一方で、その静けさが耳に響きます。
宗教色が強く、科学的が融合した内容。
神に祈りを捧げ、進化論を支持し、懺悔して救いを求めるも、キリストを悪魔呼ばわりする。
かなり偏見的な気はしますが、これも北欧的な部分があるのかもしれません。
少女が大人になる短いひと時。
テルマという一人の少女が大学に進学し、親の手を離れ、親友をつくり、恋を見つける。
ホラーとして描かれているかもしれませんが、根本的な部分はどこか、ヒューマンドラマ的な印象でした。
映像・音楽・俳優。
映画の代表的な3要素かもしれませんが、どれも薄いのに印象深かったです。
映像は前述の通り冷たい空気感。
その中で響く音楽は迫るような圧迫感を持ちます。
主人公テルマを演じる俳優。
「感情を覚えたマネキン」というか、微妙な表情の変化とかが小さいのに印象的でした。
不快な「違和感」が心地良い
ホラーというより違和感でした。
その違和感もかなり感覚的で説明難しいですが。
まるで、夢を見ているかのような。
違和感の要素1つ目:淡々とした映像。
普段アクション映画等を多く観ているからかもしれませんが、淡々として無機質なように冷たい映像、青白いイメージの映像はそれだけで違和感です。
普段の日常生活でも色に囲まれ、騒音が耳に入るのが普通です。でも映画の映像は、重く暗い曇のような雰囲気で、余計な音をカット。
「普通と違う」が違和感の原因でしょうから、まさにそれに当てはまります。
違和感の原因2つ目:主人公の演技と映像
主人公には感情が無いよう。
無表情が続くような印象が強く、生気あるマネキンというか、無表情なのに強い感情が伝わってくるというか。
映像も、顔や目のアップが多かったり、幻覚のような表現が主人公を作ったりと、やはり感じるのは違和感。
でも、違和感って悪くないと思います。
というか、個人的には映画で描かれる違和感はかなり好きです。
広くて暗い劇場の中で、スクリーンから流れ出すような違和感に包まれる感覚は気持ちよく思います。
2018年に観た作品だと、
『スリービルボード』
『ザ・スクエア』
『アンダー・ザ・シルバーレイク』
などがそれに当てはまるでしょうか。
北欧らしい冷たい空気
本当に偏見が甚だしいイメージですが…。
映画を観て、「あぁ北欧っぽいな」と。
製作国はノルウェーで、日本の配給に関してはノルウェー大使館が後援らしいです。
北欧のイメージといえば「寒い」かなと。
その寒さ………というより刺すような「冷たさ」が映像からひしと伝わってきた気がします。 凍った湖や雪の積もった木々はもちろんですが、それ以外の映像が重要な気がします。
ずっと曇の天気が続いているような重くどんよりした空気が満ちていて、しかも映像はどのシーンでも冷たい冷気で溢れてるように感じました。
果たして、映像の「冷たさ」だけが北欧らしさではないと思いますが、大きな要因だと思います。
他には、普段観る映画では聴けない英語とは違う言語の台詞や、街並みや広場の景色など小さな影響が積み重なっているのだと思います。
あとは、明らかにハリウッド映画とは違うというのも重要だと思います。
爆発や銃撃や変身はなく、あんなに騒がしくないしうるさくないです。
そういう意味では、北欧らしさというより、違和感に繋がっているのかもしれません。
宗教を堕とし、科学を嘲笑う
これも偏見的な北欧のイメージですが。
敬虔なキリスト教徒が多い一方で、医療福祉の発展に見られるように科学的な視点が一般に広まってるイメージが私の中ではあります。
本作は、そんなイメージとは正反対に近いような位置づけで驚きました。現在の状況は、若者との差や、都会と田舎との差などが顕著なのでしょうか。
キリスト教に関して。
主人公は田舎出身で敬虔な信者の父親から教育を受けたキリスト教徒です。
ところが、都会の大学仲間と集まって喋る中でキリストへの悪口等が出てきます。
キリストを悪魔呼ばわりしたり、様々な規律を嘲るように非難したり。
北欧──ノルウェーの現状がそのような状況なのかもしれませんが、驚きました。
一方で、科学に対しても非難的だったと感じました。
主人公テルマに起きた異常を確認すべく医療機関で精密検査をするも、何も確認されず。
その検査の手法がMRIや癲癇検査などかなり具体的で科学的な方法での検査になるものの、何も成果はなし。
「科学で説明できない」という部分がより強調されているように感じました。
なんでしょう?
タイトルにもあるように、宗教や科学を肯定しながらも、その一方では非難…というか嘲るようにも感じられた部分が印象的でした。
「ヘビ」が不気味に映るシーンがあるのですが、まさに「堕落」の象徴ですよね。
少女が大人になる瞬間
少女が大人になる瞬間と過程を描いた、ヒューマンドラマ的な要素もあったと感じました。
厳格だった両親の元を離れて大学へ。
そして、一人で大学生活を過ごす中で出来た親友。それから、彼女が見つけた恋。
男友達と出かけたり、お酒に手を出したり、タバコを吸ってみたり。
これまでとは全く違う世界に一歩ずつ足を踏み入れていくような彼女。
その一方で、彼女の中に渦巻く不安や心配が涙となり、怒りとなり。
ホラー映画という前提上、物語の方に夢中になって見逃しそうですが、改めて思い出してみると少女の繊細な変化というのが丁寧に描かれていたように感じました。
そして、その変化の過程を、ホラーという表現の仕方を用いて表したのかなぁ〜と。
映画構成パーツが演出する
映画を構成するパーツ「映像・音楽・演技」が印象的というか、やはり違和感に繋がっていたというか。
映像に関しては、先に書いたように「冷たい空気感」です。
そして音楽。
ホラー映画特有の迫るようなBGMが印象的なのですが、そこにはどこか普通とは違う違和感めいたものを感じました。
映像から冷たい雰囲気だから余計に、音楽が印象的に感じたのかもしれません。
それから演技。
これまた違和感を助長している要因だと感じました。
主人公に関してはずっと無表情な場面が多く、普通の女子大学生でありながら何処か生気のないような印象が。
一方で、女性らしい肉体美や官能的な美しさなどが生気のない表現と相まって怖かった……というか違和感でした。
ちょこっと感想
以降、映画本編のネタバレあり
ネタバレあらすじ&感想
序盤
凍った湖の上を歩く父親と少女の姿。
森の中で獲物の鹿を見つけた父親は猟銃を肩から外して弾薬を込める。
そして、父親が銃口を向けたのは──娘の頭だった。
しかし、直前で父親は引き金から手を離す。
タイトルバック。
大学生のテルマは、図書館で勉強している最中に発作のような痙攣を起こしてしまう。
それに誘発されたように、図書館の窓にはカラスが次々に衝突していた。
前半
プールで泳ぐテルマに話しかけたのは、図書館にいたアンニャという女子学生。
テルマは彼女と友達になり、フェイスブックでもフォロー関係に。彼女にとってはじめての友達だった。
ある夜、実家から両親がテルマのもとを訪ね、一緒に食事を食べる。
食事の最中、テルマは他人を嘲るような発言をしてしまい、父親に「少ない知識で何でも知った気になるな」とその事を咎められる。
両親が帰った後、テルマは父親に電話で、「時々自分が他人より優秀に思える。他人に興味がない」と打ち明け、先日の夜のことを謝罪した。
別の夜、テルマは若者が集まるバーへ。
そこでアンニャと会い、彼女たちの輪の中に入るが、キリスト教を馬鹿にされ、少し腹を立てる。
このバーでの遭遇を気に、アンニャとテルマの仲は近くなっていった。
その夜、寝ていたテルマは外の気配に気が付き見ると、そこにはアンニャが立っていた。
外に降りアンニャに近づくテルマだったが、また発作が起きてしまう。
発作が収まり、アンニャに連れられ部屋に戻った二人は、一緒にベットで寝る。
そんな中、テルマにはアンニャに対する特別な気持ちが育ち始めていた。
中盤
アンニャと親友になり、常に一緒にいる二人。テルマも楽しそうに笑顔が溢れていた。
ある夜、ワインを飲んだテルマは「イエスは悪魔」と酒に酔いながら口にしてしまう。
アンニャとの関係が続くある日、テルマはアンニャの母親から劇場に誘われ、3人で観ることに。
ところが、劇が始まるとアンニャがテルマの手を握ったり太ももを触ったりしてくる。
テルマは驚きながらも、発作の兆候を感じて必死に我慢し、劇場の外へ退席する。
テルマを追ってきたアンニャは、帰ろうとするテルマを止めると、キスをしてきた。
その夜、テルマは自身の行いを後悔して父親に電話をする。
酒を飲んだことに対する後悔を口にする彼女に、父親は「もう大人だから経験も必要」と優しく話しながら、「自分を見失うな」と警告する。
友人宅で開催されたパーティーに訪れたテルマは、そこでアンニャと遭遇する。
そして、男友達に促されるまま初めてタバコを吸う。
そのタバコの作用か、テルマは幻覚に似たイメージ──アンニャとの性行為を見るが、彼女は自分自身で無意識的にオナニーをしているのだった。
気分が悪くなり、嘔吐した彼女は帰宅した。
後日、発作の事で病院から検査結果を聞いた彼女は特に異常がないと伝えられる。
さらに検査を重ねる中で、彼女は幼少期の記憶と思しきものを思い出す。
それは、弟の記憶だった。
まだ赤ん坊で泣き叫ぶ弟に両親がつきっきりである事に怒りを感じていたテルマ。
すると突然泣き声が止み、弟が消えてしまった。
そして、テルマが無意識的にソファの下を見やると、そこから泣き声が聞こえてきたのだった。
後半
さらに詳しい検査をする為、専門医による癲癇の検査を受けた彼女は、そのストレスを人工的に与えるという過程で、アンニャの事を見る。
アンニャを追うようにイメージを見ていたテルマだったが、彼女は突然窓ガラスに吸い込まれるように消えてしまった。
その後、連絡をとろうとしても不在であり、彼女の母親からも連絡が来た。
検査の結果、癲癇ではない事が判明。
医者は心因性の発作だと言うが、テルマは心当たりがなく納得できない。
その医者からの話の中で、テルマの祖母がまだ生きていると知り驚くテルマ。彼女の記憶では祖母は既に亡くなっているはずだった。
テルマは祖母に会いに行くことを決断。
祖母のいる老人ホームを訪れた彼女は祖母に会うが、祖母は周囲を認知できないほど衰弱していた。
そして、担当者から「全て自分のせいと思い込み、そうなるように念じたと信じ込んでいる」と聞いたテルマは自分の状況と同じであると気がつく。
アンニャ失踪が自分のせいだと自身を責めるテルマは、父親に電話をして一度実家に帰ることに。
そして父親から聞かされたのは、テルマの持つ「力」についてだった。
テルマが幼い頃、彼女には弟がいた。
しかし、弟を風呂に入れている最中、母親が少し目を離したすきに弟が消えてしまう。 家の中を必死で探す両親。そして父親はテルマを問い詰めるが、彼女は何も知らなかった。
ところが、テルマがふと湖の方を指差すと、その氷の下には弟が埋まっていたのだった。
弟を失った悲しみで母親は飛び降り自殺を図り、車椅子生活を余儀なくされてしまったのだった。
終盤
実家で暮らす中、医者である父親から処方される薬を飲むテルマは「おばあちゃんと同じにするの?」と問うも、父親は答えない。
朝、父親は一人でボートに乗り湖に出ていた。
しかし、突然身体がもえ始め、その炎は水に入っても消えなかった。
テルマは、寝ている無意識の状態で父親を殺してしまった。
テルマは家を出て大学に戻ると決意。
家を出る直前、車椅子の母親の脚に触れて強く念じた彼女は、母親の足を治してしまった。
そして大学に戻った彼女。
テルマの後ろには、笑顔で近づくアンニャの姿があった。
最後まで読んでくださり、
本当にありがとうございました!!